吸血鬼の旦那様は私の血よりも唄がお好みのようです ~婚約破棄されましたが、優しい旦那様に溺愛されながら幸せの唄を紡ぎます~

107 いつもの日常が戻ってきました

「ふあ……」

 寝室に朝の陽ざしが差し込み、鳥のさえずりが聞こえてくる。雲のように柔らかいベッドで横になっていたアナスタシアはそっと身体を起こした。眠気眼をこすり、綺麗な青と赤の瞳で周りを見渡す。

「ああ……本当に帰って来たのね……」

 深呼吸をした後にアナスタシアは小さく呟いた。

 リュミエール城での一件が全て済んだアナスタシアはアーヴェントと共にその日の夜にはオースティン家に戻ってきたのだ。緊張と疲れ、そして今まで背負っていた沢山のしらがみから解き放たれたアナスタシアはそのまま眠りに落ちたのだった。

(昨日はアーヴェント様にちゃんと挨拶をしないまま、眠ってしまったわ……それだけ疲れていたのね、私……)

 首を傾け、頬にそっと右手を添えながらアナスタシアは物思いにふけっていた。その時、寝室の扉がノックされる。メイの元気な声が扉越しに聞こえてくる。その声を聞くと、アナスタシアは笑顔を浮かべながら返事をする。

「アナ様! おはようございますっ」

「おはよう、メイ」

 昨夜はメイも遅くまでアナスタシア達の帰りを今か今かと待っていたと、ラストから耳打ちされていた。屋敷に入ってきたアナスタシアに涙を浮かべながらメイは抱き着いたのだ。その温かさがアナスタシアには何よりも嬉しかったのを覚えている。

「朝のお支度のお手伝いをさせて頂きますねっ」

 メイはてきぱきと部屋の中を動き回り、支度をする。アナスタシアはゆっくりとベッドから起き上がると鏡台の前に腰かけた。頃合いを見て、メイがくしを用意しアナスタシアの乱れた髪をゆっくりととかしていく。

 次第にとても綺麗なハニーブロンドの髪が朝のひざしを受けて輝きを放つ。メイは満足げな様子で鏡越しにアナスタシアを見つめていた。

「ありがとう、メイ」

「いえいえ、どういたしましてです!」

(メイはもう、リュミエール王国でのことは耳にしているのかしら)

 気になったアナスタシアは鏡越しに尋ねる。

「メイ、リュミエール王国でのことはもう聞いた?」

「はい。今朝、旦那様に呼ばれて説明を受けましたっ。アナスタシア様の毅然とした態度がとても素敵だったと仰ってました!」

(もう……アーヴェント様ったら……)

 鏡越しに照れた表情で俯くアナスタシアを見たメイは眼福、といった笑みを浮かべる。その後、両手を胸の前で合わせると優しい声を掛けてくれた。

「ようやく全部、終わったんですね」

「ええ、これで天国のお父様やお母様も安心してくれると思うわ」

「きっとお喜びになっていらっしゃいますよ!」

 二人は見つめ合うと穏やかな笑みを浮かべていた。ずっと傍にいた二人にはそれ以上の言葉は必要なかったのだ。髪の手入れを済ませたアナスタシアはドレスに着替えた。

「では旦那様がお待ちですので、食堂に参りましょうかっ」

「ええ。そうしましょうか」

 明るい表情を浮かべたメイが寝室の扉を開ける。アナスタシアはそれに続いて部屋を後にした。廊下を歩き、二階から玄関ホールへと続く階段を降りていく。すると階段の下、玄関ホールにアーヴェントの姿があったのだ。

(アーヴェント様……?)

 どうしたのだろう、とアナスタシアは青と赤の両の瞳をアーヴェントに向けていた。

「おはよう、アナスタシア」

「お、おはようございます。アーヴェント様」

 ゆっくりとアナスタシアは階段を降りてアーヴェントの近くに歩いていく。深紅の両の瞳がまっすぐにアナスタシアを見つめていた。

「食堂でアナスタシアを待っていたんだが、ゾルンやラスト達に追い出されてしまってな」

 バツが悪そうな表情をアーヴェントは浮かべていた。アナスタシアはまあ、と口に手を添える。すると食堂の方からゾルンとラストが歩いてきた。

「おやおや、私共がまるで悪者のように言われていますね」

「本当ですわ」

「うっ……」

 ゾルンとラストが目を細め、アーヴェントを見つめる。彼の目が泳ぎだした。これは何かを隠している素振りだということがアナスタシアにはわかったのだ。ラストが口を開いた。

「アーヴェント様がテーブルに掛けたまま、ずっとアナスタシア様がいつ来るかと何度もわたくし共に聞いていたのですわ」

「ならば、お迎えにいくのが紳士の務めなのでは……?と私が言葉を掛けたのです」

 ラスト、ゾルンが食堂での出来事を説明してくれた。

(アーヴェント様ったら……)

 クスっとアナスタシアは笑みを零す。相変わらずアーヴェントはバツの悪い表情を浮かべていた。そんな彼にゾルンとラストが咳払いをして合図を送る。それに気が付いたアーヴェントは咳払いをした後、そっと右手をアナスタシアに差し出した。

「それじゃあ、行こうか。アナスタシア」

 柔らかく微笑んだアナスタシアはその手にそっと触れる。

「はい。アーヴェント様」

 青と赤の両の瞳と深紅の両の瞳が見つめ合う。二人は仲良く食堂に向かう。ゾルンやラスト、メイ達もそれに続く。食堂にはナイトの姿もあった。二人の帰りを待ち望んでいたナイト自慢の朝食だと説明を添えてくれた。

 アナスタシアはとても美味しそうに朝食を口にする。皆もそんな彼女を優しく見守っていた。今日は仕事の予定がないことをアーヴェントから告げられたアナスタシアは喜びの表情を浮かべていた。

(今日はゆっくりとアーヴェント様と一緒にいられるのね)

 朝食を済ませた二人は庭園へ行くことにした。メイ達も気を使い、どうぞお二人で、と言ってくれた。廊下に出るとフェオルの姿があった。背負っていたクマのぬいぐるみが首を大きく揺らした。

「朝からお熱いですね、お二人とも」

 フェオルは淡々と言葉を口にする。

「ふふ、ありがとう」

「フェオル、馬車の整備は終わったのか?」

 次いでアーヴェントが尋ねるとフェオルは急に静かになった。

「……すぴぃ」

「フェオル」

「寝ていません。今何を言おうか考えていたところでした」

 相変わらずだな、とアーヴェントは息を吐きながら呟く。そんなフェオルにも見送られた二人は庭園へと向かった。

 中庭へと出ると草花は朝の陽ざしを受けて輝いて見えた。アルガンが早くから水をまいたのだろう。皆、青々と茂っていた。草花に迎えられるように、二人は中庭をゆっくりと歩いていく。何気ない会話が弾む。

 中庭を越えると庭園へとたどり着いた。

「……やっぱり此処は素敵な場所ですね」

「ああ、俺もそう思うよ」

 手を握りながら二人は顔を合わせていた。するとアーヴェントはアナスタシアの髪を少しの束にして自分の顔に近づけて見せる。

「あ、アーヴェント様……っ?」

「済まない……我慢出来なかったんだ。許してくれ」

 深紅の両目が顔を赤くそめたアナスタシアを映していた。

(ど、どうしたのかしら急に……っ)

「リュミエール城でのアナスタシアが凛々しく、そして誰よりも美しく愛おしかったんだ。だが、陛下たちの手前我慢していた。今朝も目が覚めてすぐにでもアナスタシアに会いたくて仕方なかった程だ」

「アーヴェント様……」

 はっとした表情をアーヴェントが浮かべる。もしかしたらアナスタシアが気を悪くしたのではないかと思ったようだ。

「す、済まない。嫌だったら、嫌と言ってくれ。何とかする」

「ふふ。何とかするってどういう意味ですか」

 まるで子供のように振舞うアーヴェントを見てアナスタシアが笑みを零す。そしてその青と赤の両の瞳に最愛の人を映す。

「嫌じゃありません……心の底から嬉しいです」

「アナスタシア……」

 そのままアナスタシアは庭園を見回す。かつて在ったミューズ家の庭園と重なった。

(この庭園が私達の出会いの場所……そして再会した場所。そしてこのお屋敷が今の私の居るべき場所であり帰るべき場所なのね……)

 刹那、アナスタシアは瞳を閉じる。そしてゆっくりと開けると言葉を口にした。

「メイやゾルン達に見守られて……そして愛するアーヴェント様とこうしてこの庭園で一緒の時間を過ごせている……このお屋敷での日常が私は大好きです」

 アーヴェントもその言葉を聞いて柔らかい笑みを浮かべていた。

「俺もアナスタシアと同じ気持ちだ」

「アーヴェント様……」

 不意にアーヴェントがアナスタシアを抱き寄せる。彼女の綺麗な瞳に見つめられて我慢が出来なくなったのだろう。そっと唇を重ねた。アナスタシアも目を静かにつむると身を任せる。

 こうして穏やかな日常が戻って来た。

 変わらず咲き誇る草花達はそれをそっと見守っていたのだった。
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