吸血鬼の旦那様は私の血よりも唄がお好みのようです ~婚約破棄されましたが、優しい旦那様に溺愛されながら幸せの唄を紡ぎます~

73 嵐の前の静けさでなければいいのだがな

 昼食を終え、アナスタシアと別れたアーヴェントはゾルンと共に、別邸で仕事の商談を行っていた。最近は商談の件数も以前よりも増えていた。恐らくは王都でケネスが流した噂が広がった結果なのだろう。ちょうどお茶の時間を過ぎたあたりで、商談も一段落ついた。

「アーヴェント様、お疲れ様です」

「ゾルンも補佐をしてくれていつも助かっている」

 光栄です、と丸眼鏡の位置を軽く直しながらゾルンが返事をする。一階の奥にある商談用の客間から二人は二階の執務室へと移動した。今日行った商談の資料や契約書などをまとめるためだ。執務机の椅子に掛けたアーヴェントは持っていた書類をもう一度確認するために目を通す。ゾルンは顧客のリストを棚に戻していた。

 その時、執務室の扉がノックされる。ゾルンが扉に近づくとフェオルの声がした。アーヴェントにも聞こえていたようでゾルンに了承の合図をする。

「どうぞ、フェオル」

「ありがとうございます。失礼いたします」

 眠ったクマのぬいぐるみを背負ったフェオルが二人にしっかりと礼をして執務室へと入ってくる。それに続いて執事服を着崩した姿が特徴のグラトンの姿もあった。二人は執務机の前まで歩いてきた。

「どうも、旦那。ゾルンも仕事お疲れ様だな」

 グラトンはフェオルと違って友人に軽く挨拶をする、くらいのノリだ。だが、グラトンはその容姿や態度が特別に許されている。そのままテーブルの椅子にだらりと腰かけ、長い脚を組みながら恐らく別邸の厨房からくすねてきたバケットを取り出し口いっぱいに頬張っていた。

「二人とも外回りの仕事、ご苦労だったな」

 グラトンは屋敷の用心棒であり、返済が滞っている者達への集金の仕事も担っていた。今日はフェオルに御者を頼み領地内の各地を周っていたのだ。

「ありがたきお言葉です」
「どうも」

 そんな二人にゾルンが声を掛ける。

「そちらの首尾はいかがでしたかな」

 その質問にはバケットを頬張りながらグラトンが答える。

「全て抜かりなく、集金出来ましたよ。しかも問題も一つもなし。みんな気持ちが悪いくらい集金に好意的でした。こっちは肩透かし喰らった気分ですよっ」

 集金したお金はそのまま別邸の三階の一番奥の部屋にいる金庫番を担っているグリフに預けてきたとも言っていた。グラトン達が周ってきたお客たちは以前から返済を渋っていた者達だったのだが、全て集金出来たことはアーヴェントもゾルンも驚いていた。

「やはり、王都の噂が広がっているからなのでしょうな」

 ゾルンがアーヴェントの方を見ながら笑みを浮かべている。書類に記入をしながらアーヴェントも同じような表情を浮かべていた。

「そうだな。商談も上手くいっている。案件を持ち込む者達の質も上がっているしな」

「喜ぶべきことですな」

「ああ、そうだな」

二人の会話に立ったままのフェオルも口を挟んできた。口を挟みたくてうずうずしている素振りをしていた。

「やはりアナスタシア様のお力が大きいのですね。流石です」

 表情はあまり変えてはいないが、フェオルもとても得意げだ。その後、グラトンが口を開く。

「集金に行った先でも次の商談の時には是非奥様も同席して欲しいって言われたくらいですからねぇ」

 グラトンは何処から取り出したのか、二つ目のバケットを頬張っていた。アーヴェントの表情が少し険しくなる。

「そうか……」

 その表情をゾルン達も見つめていた。刹那、執務室の空気が強張る。そんな時、執務室の扉が再びノックされる。お茶の支度をしてきたラストとお茶受けのスイーツを運んできたナイト、そしてアルガンだった。

「お話中、失礼致しますわね。お茶の時間も過ぎていたので、準備をしてまいりました」

「わ、わたくしは自慢のスイーツをお持ちしましたっ」

「ボクは別邸の厨房に菜園で採れた野菜を納品しに来たついでに、ラストに声を掛けられましてね」

 それぞれが此処に来た経緯を口にする。アーヴェントはそれに応える。

「三人ともよく来てくれたな。それじゃ、お茶にするか」

 ゾルンは丸眼鏡に軽く手を当てながら言葉を口にする。

「おやおや、皆がこんなに揃うとは珍しいこともありますな」

「確かにオレ達がこんなに集まるなんて中々ないですからねぇ」

 ゾルンに続いて陽気な態度でグラトンが反応する。ラストに促されてグラトンと同じテーブルにフェオル、アルガンも腰を降ろす。ナイトは彼女と一緒に皆にスイーツを切り分けて運ぶ。

 屋敷の使用人の中でもゾルン達がここまで一同に会することはとても珍しいことだ。アナスタシアもまだこの光景は見たことがないだろう。ラストのお茶とナイトのスイーツにグラトン達も舌鼓を打っていた。

「そういえばアーヴェント様、パーティーではアナスタシア様が頑張っていたと聞きましたよ」

 アルガンが羽帽子を軽く上げながらアーヴェントに声を掛ける。

「ああ、とても立派だったよ。アナスタシアから聞いたが、アルガンから助言をもらったと言っていた。俺からも礼を言わせてくれ」

「ありがたいお言葉ありがとうございます。でもボクは草花達の声を代弁しただけですから。全てアナスタシア様のお力ですよ」

 執務室は活気に満ちていた。するとノックがないまま執務室の扉が開かれた。そこには身体を曲げ、モノクルを付けた金庫番のグリフの姿があった。

「グリフ……? どうしたんだ、部屋から出てくるなんて珍しいじゃないか」

 アーヴェントが驚きながら口を開く。ほっほっほ、と声をあげながらグリフが軽く笑みを浮かべていた。

「三階まで賑やかな声が聞こえてきましたからのぉ……気になりましてな。それにラストにもずっと埃臭い部屋に閉じこもっていると身体が鈍ると脅されておりますからな。たまには自分から旦那様に仕事の資料を手渡すのもいいかと思った次第ですじゃ」

 ゆっくりと執務机に近づいたグリフが集金したお金を記した書類をそっと机の上に置く。しっかりと几帳面に文章が整理されていた。グリフの仕事は職人並みといっても過言ではない。

「グリフ、助かるよ」

「ほっほっほ、お礼など不要ですじゃ」

 グリフは執務室に集まった使用人達の顔をぐるりと見渡すと、ゆっくりと口を開いた。

「この()()が旦那様の元に集うのはどれくらいぶりじゃったかのぉ。今まではあまり接点はなかったはずじゃが……奥様が来たあたりから仲が良くなったようにみえますな」

「そうだな。確かにそうかもしれないな」

 ゾルン達もグリフの言葉に微かに反応してみせる。

「ワシ達もだいぶ丸くなったということですかな。ほっほ」

 アーヴェントがゾルン達を見回し、口を開く。

「お前達には俺が当主になってからずっと世話になりっぱなしだな」

「そんな、もったいないお言葉ですわ」

「私達はアーヴェント様にお仕えしている身ですから」

 その言葉にラストとフェオルが反応する。

「商談の件数も増え、客の質も上がり、このオースティン家に更に豊かになりましたなぁ。これも奥様がこの屋敷に来てくれたお陰ですな。じゃが、ここまで上手く事が運び過ぎているというのも逆に気持ちが悪い気もしますな」

 グリフはモノクル越しに執務机に座ってこちらを見ているアーヴェントの深紅の瞳を覗き込む。皆の視線が集まる。

「確かにグリフの言う通りだ……これが嵐の前の静けさでなければいいのだがな」

 七人の使用人達は、真剣な表情を浮かべるアーヴェントの深紅の両の瞳を見つめていた。

「ラスト、アナスタシアは今何をしている?」

「メイと一緒に寝室で編み物をしていますわ」

「そうか……彼女がこのまま幸せでいてくれるのが一番だな」

 ラストに続いてゾルンが口を開く。

「記念パーティーの席でのアナスタシア様を見た痴れ者どもは動きますかな」

「ああ、遅かれ早かれ気づくだろうな……」

 そこにグリフが口を挟む。

「旦那様もそろそろ……何があっても良い覚悟は決めておくのが最善じゃろうな」

「……その言葉、肝に銘じておくさ」

 真剣な眼差しでアーヴェントはグリフに言葉を返した。ほっほっほ、とグリフは執務室を去った。アルガンとナイト、グラトン、フェオル、ラストもそれぞれ礼をして執務室を後にした。一人残ったゾルンが丸眼鏡の位置を再び直す。

「皆それぞれ何かを感じて集まった、という所ですかな」

「俺の覚悟を確認しにきたのかもな。……その辺りはまだ頼りない主だからな」

「そんなことはございませんよ。貴方は貴方の想う通りに行動してください。それが我らの願いでもあります」

 アーヴェントは執務机にそっと両肘をついて顔の前で手を軽く組む。深紅の両の瞳の奥には力強い想いが映っていた。
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