元ヒロインの新妻は元ヴィランの夫から逃げられない 〜あなたは征服欲と支配欲のために私と結婚しただけなの、ちゃんとわかってます。は? 愛してる⁉ 本気ですか⁉〜

第3話 「少しは好きって。そんなわけがないだろう」うん、知ってた。

 怖い。キスだけで動けなくなった私は、この人に寝室に連れ込まれた。鼻歌を歌いながら服を脱がせるこの人が怖い。どうしてそんなに楽しそうに笑えるのかわからない。
「ピル飲んでるんだから、ナマでしてもいいだろう」
 嬉しそうに聞かれて、震える声で返した。
「ダメ。そういうこと言うってことは、中身すり替えてるんでしょ。もし無理やりゴムなしでするなら、副作用キツいけど、明日クリニックにアフターピルもらいにいく」
 彼は不快げにチッと鋭く舌打ちした。この人は私のことなんか大切なわけじゃないくせに、副作用で具合が悪くなるのは嫌なの? いったい何考えてるんだろう。この人がヴィランだから、何を考えてるのかわからないのかな。もし私がこの人の本来の相手、ヴィラネスだったら。そうだったらこの人を深く理解することができて、愛してもらえたんだろうか。そう思うと心が引き裂かれるように痛くて、勝手に涙があふれた。
「なぜ泣く」
 不機嫌に言われて、さらに心が痛くなった。
「なんでって。私はあなたとは違うもの。こういうことを支配欲や征服欲でできる気持ちはわかんないよ。私は、好きな人としかこういうことできないから」
「何を言ってる、この俺が支配欲とか征服欲なんかで、結婚式まで手出しを控えるか!」
 大声を出されて、ぼうっとしていた頭がはっきりした。えーっと、それって? 私はまじまじと彼を見上げた。
「手を出さなかったのは、私が在学中だからでは?」
「ハッ。俺にそんなまともな良心があったら、現実世界で初めて会った日にホテルに連れ込まない」
 そんなの胸を張って言えることじゃないんだけど。でもそうでした、あなたはそういう人でした。彼はイライラと髪をかきあげた。
「今さら嫌がったって無駄だ。もうお前は俺と結婚した。お前が本来の相手であるヒーローと出会っても、離婚はしない。別れてくれと言うなら、相手をこの手で殺す」
 はい? いまサラッと殺すって言いましたか⁉ 殺人は犯罪です、というか、えっとあの。
「その、もしかして龍一郎さん、少しは私のこと好き、なの?」
 彼はものすごく驚いた顔で、じっと私を見下ろした。
「みどり。お前は思ってた以上にバカだな」
「はいいいい⁉」
「少しは好きって。そんなわけがないだろう」
 あ。駄目だ。
 否定されるのは、覚悟していたよりずっときつかった。心が苦しい。目の前が真っ暗になって、今にも吐きそう。たくましい胸板を押し返そうとしたのに、相手はびくともしなかった。
「俺がお前のこと愛してることぐらい、知ってるだろう。そんなに俺をもてあそんで楽しいのか?」
 吐き気がとまった。すぐ近くに真剣な眼差しがある。何回も彼の言葉を脳内で繰り返して……かあっと顔が熱くなった。私の反応に、彼は眉を上げた。
「おい。まさかとは思うが、俺の気持ちに全然気がついていなかったなんて言わないだろうな?」
 え。気がついてませんでしたが何か。てか言われたことないよね?
 その言葉は口にできなかった。だって! あーん、この人の笑顔、なんでこんなに凶悪なのよう! 何も言えずに、半裸のまま冷や汗をかきながら、ゆっくり後ずさろうとした。彼はにっこり笑って私を抱き寄せ、ベッドに押し倒した。
「なるほど。そこから教えていかないと駄目だったんだな」
 ゆっくりとした口調に、悪寒が走る。
「イエ! あのですね、龍一郎さん、私は心を読むなどの超能力は持ち合わせがありませんので! そーゆーことは口に出していただかないとわかりません」
 あまりの恐怖に、言い訳は敬語で早口になった。ベッドの上をそろそろと逃げようとしたら、相手はさらに笑みを深くした。ぎゃーっ、だから! なんで笑顔がそんなに凶悪なの! 彼はめちゃくちゃイイ笑顔で腕時計やカフスやネクタイピンを丁寧に外してベッドサイドテーブルに置くと、くっそ高いスーツや、ネクタイや、シャツは乱暴に床に脱ぎ捨てた。
「ハンガーに掛けないとシワになる!」
「それがどうした」
「その服、高いんでしょ」
「値段なんか知るか」
 うわっ、金持ちってほんとヤだ。
「腕時計やカフスやネクタイピンはお前が踏んだら怪我するが、服なら踏んでも問題ないだろが」
 不快に思う気持ちは一瞬で消えた。じわじわと顔が赤らむ。
「あの、まさかと思いますが、私って大切にされてます?」
「あ? 初めてのときも、あれっだけ丁寧に丁寧に抱いたのに。それすら伝わってないのか」
 その不機嫌な声音に、初めてラブホテルに連れ込まれたときの記憶が、一気に脳内にあふれた。
 ホテルに連れ込まれたものの、頭が真っ白になって何もできずに立ちすくんでいる私に、落ち着いた優しい声で飲み物をすすめてくれた。それから穏やかに自己紹介して、本当に怖くないかと聞いてくれた。この人の今までの恋人は、慣れた女性ばかりだっただろうに。こんなめんどくさい処女の相手なんか、初めてだっただろうに。
 覚えてる。何度もキスを繰り返してくれて、優しく褒めてもらいながら、気持ちよくされた。服を脱がされたり体を見られたり触られたり舐められたりするのは恥ずかしかったけれど、全然乱暴じゃなかった。私が言わなくても当たり前のように避妊してくれた。だから、ヤリ捨てされるとわかってても、恨む気持ちは湧かなかった。
 そうだ。初めてのときから、この人は私を大切にしてくれていた。
「そんなにも俺がイヤか。やっぱり初めてのとき、痛かったのか? 俺が触ると、お前は毎回体を強張らせる」
 今夜、みんなの前で肩を抱かれたときのことを思い出して、あわてて言い訳した。
「だって、あなたに触られたらドキドキするんだもん。恥ずかしい」
「ご両親に挨拶した後、帰り際も泣いていた」
「あんな言い方されたら、誰だって怯えるよ! ……ううん、違う」
 私は勇気を出して、逆光でよく表情の見えない彼を見上げて言った。
「ほんとは怖かったんじゃないの。片思いだってわかってたけど、あなたが執着してくれたのが嬉しかったの」
「なにが……片思いだ。片思いなのは俺のほうだ」
 苦しげな声。不意に彼に抱きしめられて、息が止まりそうになる。触れ合った肌が熱い。ああ、私だけじゃないんだ、この人の心臓もドキドキしてる。私はおずおずと尋ねた。
「だったら、大学やめさせて子ども産ませようとするの、なんで? 私から経済的自立を奪ったうえで捨てるためじゃないの?」
 彼は尊大に鼻を鳴らした。
「捨てるつもりなら、そもそも結婚するか。お前の大学の同級生の男たちを威圧してたの、気づかなかったのか」
 たしかに、男子学生たちは遠巻きにしてた。でもそれは女子たちがこの人狙いで前に出てるからだと思ってた。
「なんで妊娠させようとするのかだと。ほんとに、ほんとにわからないのか」
 炎が燃え盛るような瞳が、私に自覚をせまった。私はかすれる声で言った。
「もしかして、私との子どもを本当に望んでくれてるの?」
「当たり前だ! それにほんとは一歩も外に出したくない。他の男の目に触れさせたくない。何が片思いだ、こんなに俺をたぶらかしておいて」
 たぶらかすって、なんて人聞きの悪い! てか近い! ごく至近距離に『夫』の整った顔立ちが近づく。思わずギュッと目を閉じると、鼻の頭をかぷりとかじられた。
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