貴公子アドニスの結婚
妊娠がわかって半年ほど過ぎたある日、夫人がアドニスに相談があると言ってきた。
趣味で古本や古い文献の修理などしていたのを、商売として始めたいと言うのだ。
たしかに夫人の技術は玄人並みで、噂を聞いた貴族が依頼してきたりもしていた。
しかし、商売となると…。
「貧乏人の妻ならいざ知らず、名門ラントン家の次期公爵夫人が商売をするなどと。あくまで趣味として続けるというなら構わないが」
アドニスは冷たくそう言い放った。
妻に商売を許すなど、アドニスにとっては恥である。
しかし夫人はキッと顔を上げた。
「旦那様が結婚の条件としてあげた三つの中に、商売をしてはいけないとはありませんでした。それに、条件さえ守れば好きにしていいともおっしゃいましたわ」
「それはそうかもしれないが、そなたが商売を始めればラントン公爵家の名が全面に出るだろう?うちの名を使って夫人が金儲けをするなど、」
「公爵家の名は出しませんのでご迷惑はおかけしないかと。商会の名はベルトラン…、実家の名を使おうと思っています。それに、元手は全て婚姻時に旦那様が準備してくださった支度金を使いますので、公爵家のお金に手を付ける気は全くございません」
「しかし、そなたは身重なのだぞ?お腹の子に何かあったら、」
「無理はいたしませんから、許してくださいませ。絶対に、元気な子を生みますから」
「………」

結局、アドニスは夫人の願いを聞き入れた。
いつから準備していたのか知らないが、古文書や文献、古本の修理・復元を専門としたベルトラン製本社が立ち上がった。
社長は夫人だが身重であることから、当面は実家から呼び寄せた乳兄妹を代理社長として置くという。
約束通り元金は全て夫人の支度金で賄い、公爵家の金には一切手をつけていなかった。
アドニスがあらためて知ったことだが、婚約中も結婚してからも、夫人の身を飾っていたドレスや装飾品は、全て公爵夫人がプレゼントしたものだった。
婚約中に夜会に参加した時のドレスも。
王太子妃フィリアのお茶会に参加した時のドレスも。
夫人自身が自分のために買ったものなど、何一つなかったのだ。
そしてそれは、アドニス自身も同様であった。
アドニスが選んで用意したのは夫人が結婚式に着るドレスのみで、他に贈ったものなど何一つない。
ウェディングドレスを自ら選んで贈ったのは、自分の隣に立つに相応しいよう、美しいドレスで身を飾って欲しかったからだ。

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