角砂糖が溶けるように

3-6 片思いの秋

 文化祭の余韻も残る中、星城学園は体育祭の準備に取り掛かっていた。麻奈美がこれまで通って来た学校では夏休み頃から競技の練習をしていたが、星城ではそういうことはしないらしい。参加したい競技があれば自ら申請し、クラス単位での出場は特にないと噂で聞いた。

「なんかこう、秋って燃えるんだよな!」
 そんなことを言っている修二をよそに、麻奈美は文庫本を読んでいた。普段からあまり相手にしていない修二はもちろん、千秋や芳恵のことも放って目で文字を追っていた。
「今度こそ良いとこ見せてやるからな! 楽しみに待っとけよ!」
 なんて笑顔で教室を出ていく修二を見ているわけもなく、麻奈美は本を読み続けた。そしてしばらくしてから章が終わったのか、しおりを挟んで顔を上げた。

「ふぅ……」
「どうしたの、ため息なんかついて」
「──え? 私? ため息なんかついてた?」
「ついてたよ。それよりその本──図書館のだね」

 平太郎が入院して数日、麻奈美は図書館に通うようになった。というより、大夢が開くのを待っている芝原との待ち合わせが自然と図書館になった。
 けれど芝原との大夢の約束を友人たちに話すつもりはない。

「うん……おじいちゃん入院してる間は宿題くらいしかないし」
「それにしても珍しいよね。勉強もそんなに好きな方じゃないでしょ?」
 窓際の麻奈美の席の横で、風に吹かれてカーテンが揺れた。窓の外の景色の中に、今読んでいた本の登場人物をぼんやりと浮かべた。下校する女子生徒がひとり、電車に乗って隣町へ出かけて行った。

「勉強が好きな人のほうが珍しいと思うけど……。教科書が面白かったら、もっと授業に集中出来るのになぁ」
「で、なんで図書館の本読んでるの? 学校で借りても良いのに」
 麻奈美が閉じて置いていた本をぱらぱらとめくりながら千秋が聞いた。
「それは──お店の近くだから。それに、学校よりいっぱい置いてるし……」
「そんな風には思えないんだけどなぁ」

 千秋は本の裏表紙のあらすじを読んでいた。いま麻奈美が読んでいるのは。
「これ、女子高生が偶然出会った男性に興味を持って、どこの誰かもわからないのに出会った場所に通い続けるって……」
 多少の違いはあるが、麻奈美と芝原の関係によく似ていた。
 麻奈美が本を借りるときは芝原と一緒だが、幸い、彼は麻奈美が借りている本を見たことはない。特に聞いてくることもなく、大夢に入ってからはいつものように勉強していた。

「ねぇ、麻奈美ちゃん、私の勝手な想像なんだけど」
 千秋は本を机に戻し、麻奈美に詰め寄った。
「やっぱ、好きなんでしょ? 例の大学生のこと」
「──なんで? そりゃ、嫌いじゃないけど……」

 芝原には、ずっと前から気になっている人がいる。
 それを聞いてしまってから、芝原との距離を縮めることは諦めていた。もちろん、麻奈美にとって彼は優しくて頼りになる大人に変わりはないが、それ以上にはならなかった。

「もしかして、その大学生が図書館にいるんじゃない? こないだも、図書館で待ち合わせだったんでしょ?」
「大学の図書館のほうが専門書が揃ってそうだけど」
「ああ、そっか。私、麻奈美ちゃんのことそんなに詳しくないけど、最近ますます謎が深まってきた気がする……」

「謎、か」
 相変わらず遠くを見つめる麻奈美がぽつりとつぶやいた。
「謎だよ、麻奈美ちゃん。全部を話すことはないけど、悩みをひとりで抱えるのは絶対に良くないからね」
「うん……ありがとう。でも、悩みっていうか……悩みじゃないというか」
「どういうこと?」
「その、こないだ、例の大学生に言われたんだけど」
「やった、ついに告白されたんだ!」
「ちっ、違うから! ……怖くない? って、聞かれたんだけど。その……彼のことは、学校くらいしか知らなくて、素性を知らなくて怖くない? って」

 あのとき麻奈美は、本当に芝原が怖いとは思っていなかった。
 だからそう答えたし、今もそれは変わっていない。
「なんでそんなこと聞いたのかなぁと思って……何かあるんだとは思うけど。私が知ってる限りでは、怖いなんて想像できないし」
「確かに、いつも褒めてるね。やっぱ、好きなんじゃないの? その人のこと」
「うーん……」
「はい、決定!」
「──って、なんでそうなるの! 勝手に決めないでよー」
「だって麻奈美ちゃん、口開いたら大学生のこと喋ってるんだよ?」
(認めたら、ちょっとは楽になるのかな……)

 麻奈美が芝原について知っているのは、相変わらず、星城に通い続けていることと、現在の大学での専攻科目のみ。敢えて言うなら、好きな人がいるらしい。
 芝原の素性のことはまったく知らないし、それは誰も教えてくれない。
(でも……二人の言う通り、私……)
 食欲の秋、スポーツの秋、読書の秋。
(片想いの秋……?)
 千秋と芳恵が喜んでいる横で、麻奈美はしばらく芝原が通う星城大学のほうを見つめていた。隣町へ出かけた女子生徒は、無事に彼に会えたのだろうか。

「おーい、麻奈美ー」
「──来たよ、かわいそうな奴が」
 千秋がそう言うのと同時に光輔の声がして、芳恵はどこかへ行ってしまった。麻奈美は修二の方を見ようとはせず、ぼんやりと本の続きを想像していた。
「どうしたの、片平君」
「今度の体育祭なんだけど、俺、何に出ようかと思って」
「そんなの、自分で決めれば? 自分が出たいんでしょ?」
「松田さんまで最近、俺に冷たくない?」
 麻奈美が修二に興味はないのは出会った頃から聞いていたが、最近は本当に興味のキの字さえないように見えた。修二が麻奈美に振られ続けるのもかわいそうだが、どうせなら麻奈美を応援しようと決めた。当の本人は、芝原を好きだと認めようとはしないけれど。

「修二って確か、走るの速かったんじゃない? リレーでも出れば?」
「おお? 麻奈美、ついに俺のこと認めてくれたのか?」
 修二は嬉しそうにしていたが、
「まさか。千秋ちゃんに聞いても、わからないでしょ」
 麻奈美は本当に、修二に興味はないようだ。
「噂くらいなら聞いたことあるかも。あとは、うーん……やっぱ、麻奈美ちゃんのストーカーっていうイメージしかないなぁ」
「はぁ? 俺がストーカー?」
「あっ、ごめんごめん。でも、本当に、いつも振られてるし」
 修二が思いっきり変な顔をしたので千秋は慌てて謝った。
「本当に振られっぱなしだよ」
「いい加減、諦めたら?」
「俺は諦めない! 何としてでも、麻奈美の男になってやる!」
「いつもそうだからストーカーって言われるんだよ」
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