角砂糖が溶けるように

4-4 良くない噂

　その直後の休み時間。
「おい、麻奈美、俺、思い出した！」
　先生と芝原の気配が遠くなるなり、修二は振り返った。
「どうしたの？　さっきも急に……」
「あいつだよ、ヤバいよ！」
「だから、何が？」
「──前に言った大暴れしたヤツ。さっきの実習生だ」
「まさか、ウソでしょ？」
　麻奈美と千秋、それから芳恵の三人は同時に同じ言葉を叫んでいた。
「だってあの人、ものすごく真面目そうだしカッコいいし……」
「あんなの演技に決まってんだろ。大暴れしてた奴がどうやって真面目になるんだよ。俺だったら無理だな。絶対戻れない」
「演技って、そんなことないよ……」
「そうだよ。それに、星城で、どうやって暴れるの……」
「……俺に聞くなよ。あいつに聞けよ」
　初めて芝原に出会ったとき、変な感じがしたのはこんな過去があったから？
　平太郎や浅岡が隠していたのは、芝原本人が言おうとしていたのはこれ？
　修二の言葉を信じたくなくて、けれどそう考えると全ての謎が繋がって、麻奈美の頭は破裂しそうになっていた。麻奈美に黙って教育実習に来たことは、もうどうでもよかった。
（やだ……芝原さんがそんな人なんて、嘘だ……間違いだ……）
「こうしてられないな、光輔に教えてやろう」
「ちょっと修二、待って──」
　走って行く修二を止めようとして麻奈美は立ち上がり、けれど足を前に出すことは出来なかった。
「そんなわけ、ないよ……」
　麻奈美は力なく椅子に座った。近くにいて修二の声が聞こえていた生徒たちも、ひそひそと芝原の噂話を始めていた。
（そんな人に見えないけどなぁ）
（でも、片平君、嘘言ってるようには見えなかったよ）
（うん……でも、今は普通なんでしょ？）
（さあ……演技かもね）
（今も悪いの？）
（更生は難しいからねー。どれだけ暴れたのか知らないけど、相当悪かったんだろうね。ここ厳しいもん）
（そうかなぁ。でも、教育実習に来るってことは、教師になろうとしてるんでしょ？　もう真面目なんじゃないの？）
（どっちだと思う？）
（真面目！　であって欲しい！）
（でも、昔のこと気にする人も結構いるよ？）
　そんなクラスメイト達の会話を、麻奈美は聞いていられなかった。
　今までずっと頼りになる大人だと思って接してきた芝原がそんな人とは、考えたこともなかった。平太郎のところに泊まった夏休みに芝原の高校時代の写真を見たけれど──確かにガサツに見えたけれど、クラスメイトに囲まれて楽しそうに笑っていた。作り笑いなんかではない、本当に楽しいという顔をしていた。
　千秋と芳恵もいつの間にか隣の輪に入っていたのを見て、麻奈美は席を立った。
「あれ、麻奈美ちゃん、どこ行くの？　もうすぐ授業始まるよ」
「うん、すぐ戻るから……」

　麻奈美は教室を飛び出して廊下を走り、教育実習生たちの控室を目指した。
　じっとしていられなかった。
　考えれば考えるほど頭が混乱して、気付けば走り出していた。
「あ、すみません！　芝原さ──芝原先生いますか？」
「芝原君？　えーっと、確かさっき……」
　目についた他の実習生に聞いていると、
「僕が、何？　──どうしたの？」
　麻奈美の後ろから、彼は現れた。実習中だからだろうか、大夢で見るのとは違う、緊張した顔をしていた。
「あの、えーっと……」
　何を言えば良いのか、わからなかった。芝原は麻奈美のクラスで挨拶をしただけで、麻奈美が過去の話を修二に聞いたことは、まだきっと伝わっていない。
「こら、川瀬、授業始まるぞ。それと、ここには入るな」
　通りかかった担任が麻奈美の姿を見つけた。次の授業は、担任の数学だ。
「はい、すみません──」
「何か、用事？」
「え、っと、あの……」
「川瀬、チャイム鳴るから、後にしなさい。芝原も、授業に行きなさい」
「わっ！」
　麻奈美はそのまま担任に引っ張られて教室に向かわされ、芝原も自分の授業のクラスへ向かった。教室に着くまでの間、担任は意外なことを口にした。
「あいつに──確かめに来たのか？」
「えっ……何を……」
「川瀬と芝原の関係は知ってるよ。お祖父さんのことも。今まで何も聞かされてなかったんだろう、あいつのことは」
「やっぱり……本当なんですか」
「誰に何を聞いたかは知らないが、これだけは言っておく。今の芝原には、先生たちはみんな感心してる。余計な心配はするな、成績が落ちるぞ」
「は、はい……」
　そして担任よりも早く教室に入るように促され、麻奈美は遅刻せずには済んだ。