角砂糖が溶けるように

6-4 はめられた罠

「出てくるまでは、誰も入るなよ」
 幽霊姿のまま、修二は入口のドアを閉めた。それからご丁寧に『内部補修中のためしばらくお待ちください』という札まで目立つ所に掛けた。
「もしかして、罠だったの?」
「そうそう! これも立派な協力だろ?」
「なんか、違うような気もするけど……」
 麻奈美をお化け屋敷に閉じ込めるのは、修二の作戦だった。けれど一人では実行できないので、平太郎に頼んで浅岡に連絡を取ってもらった。
「これで上手くいけば、俺の株も上がるだろうしな!」
「残念だけど、上がらないと思うよ。麻奈美ちゃんがどんな顔して出てくるか……」
 閉じ込めた浅岡本人が、麻奈美を一番心配していた。たった一年間でも自分の教え子だった以上、嫌な思いをさせるのは好ましいことではない。だから修二の提案には最初は断ったのだが、後できちんと謝ることを条件に渋々承諾した。
「私も謝りたいんだけど……」
 麻奈美がいつ出てくるのか、全く分からない。
 所要時間十五分ではあるが、麻奈美は極度のお化け屋敷恐怖症だ。
「いえ、すみません。俺が絶対、謝っておきます」
「本当に? 私も、今度、お詫びに行かないと」
 麻奈美が心配、と何度も言いながら、浅岡は母校の中学のほうに顔を出すと言って帰って行った。
「俺の誘いを断りすぎたからこうなるんだよ……」

 その頃、麻奈美はお化け屋敷の中でしゃがみ込んでいた。
 もちろんここは学校の中で、お化けも全部、造り物だ。幽霊に化けているはずの修二もなぜか外に出ていた。それははっきり分かっているが、『お化け屋敷』という前の見えない世界に踏み込んでしまったことを、麻奈美はどうしても受け入れられなかった。
「やだよ、先生……なんで?」
 ぽつりとつぶやいた時。
「──やられたな」
 頭上から聞き慣れた声がした。恐る恐る顔を上げると、制服ではない誰かの足が見えた。
「中を通って出るしかない……行こう」
 遠ざかる足音を微かに聞いて、麻奈美も立ち上がった。けれど一歩踏み出したところでカサカサと音がして、再び足は止まる。
「もう、修二のバカ……なんでこんな仕掛けだらけなの」
 頭ではちゃんと理解している。
 教室の中につくられた偽りの世界だと、もちろん知っている。
「覚えときなさいよ、修二!」
 と叫んで早足で歩きだした麻奈美は、また何かの仕掛けに触れてしまった。暗闇の中に何かが赤く光り、ゆらゆら揺れて消えた。
 ポタッ……ポタッ……
「なに、この音──水?」
 もちろん、教室の中に水道なんてない。
「っ冷たっ!」
 頭上から水滴が落ち、麻奈美の頬を伝った。
「何よこれ?」
 ポタッ……
「もう無理、ダメ……」
 麻奈美がしゃがむと、今度は何かが肩に触れた──
「ひゃっ──!」
「ごめん、僕だよ、麻奈美ちゃん」
「え……し、芝原さん?」
「そう。僕。わかる?」
「はい……ごめんなさい……」
 芝原がいることに安心して、麻奈美は少しだけ元気になった。支えられて立ち上がり、ようやく落ち着いて辺りを見渡した。
「やっぱり、どう見ても、段ボールとか布切れですよね」
「まぁ、そうだね」
「なんで私、こんなのに……」
 麻奈美が言う横で芝原がセットに触れると、違うところからニョロッと何かが飛び出した。
「ふぅん。ここを触ると、あっちが出る仕掛けか」
 触っていたところを離すと、出てきたものも中に戻った。
「この先、まだ長そうだけど、大丈夫?」
 芝原がいるおかげでなんとか震えは治まったが、またいつ何の仕掛けに当たるかわからない。そのとき自分がどうなるか、麻奈美は簡単に想像できる。
「教室の中だから。お化けなんていないよ」
 けれど麻奈美の足は動かなかった。
 お化け屋敷は大嫌い、と顔に書いていた。
「歩けないなら、出口まで抱いてあげるけど」
「えっ、そ、それは良いです、歩けます!」
 麻奈美は急に慌てだし、前に進んだ。けれど早速何かの仕掛けに当たったようで、正面からの風によって押し戻されてしまった。麻奈美はため息をつき、芝原は少しだけ笑った。
「お化け屋敷なんて、誰が考えたんだろう……」
「考えるより、外に出よう。それから、休憩する?」
 すぐ隣で芝原の声が聞こえ、麻奈美も同じペースで歩いていた。というより、彼が軽く腰のあたりを押してくれていた。恥ずかしくてどんな顔をしているかわからないので、暗闇で良かったなと思う。
(もしかして、先生と修二はこのつもりで……?)
 そう思うと腹が立ったけれど、それはすぐに消えた。芝原のことは元から好きだったし、ここで改めて恋をする相手でもない。
(修二、ちょっと間違ってるよ)
 それから出口までの間、何度仕掛けに当たったかわからない。けれど芝原のおかげで麻奈美はまっすぐ歩くことが出来たし、見える物はほとんど彼が受けてくれていた。腰に回されていた手はいつの間にか麻奈美の手を握っていた──それがあまりに自然すぎて、麻奈美はしばらく気付かなかった。
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