角砂糖が溶けるように

6-10 素直な気持ち

 星城学園は、学年末を迎えていた。
 三年生たちは進学や就職の話で持ちきりで、麻奈美たち二年生のクラスでも、先生たちは来年の話をしていた。一年ほど前、修二は麻奈美と一緒に星城大学に通うことを希望していたが、今はそんなつもりはないらしい。
 麻奈美はめでたく芝原の彼女に──なれたわけではないけれど。
 芝原がそうできない理由はまだ教えてくれないけれど。
 少なくとも以前よりは仲良くしてくれていたし、麻奈美も彼に気になる人がいることを気にするのをやめた。何度も千秋に言われた通り、気にしたところで始まらない。
「でも、麻奈美ちゃん、本当にそれでいいの?」
「うん。だって……楽しいから」
「だけど、もしかしたら、その誰かが先生の──」
「芳恵ちゃん、それは、考えない」
 心配する芳恵の言葉を止め、麻奈美は笑った。
「もうすぐ、四月になったら、本当に先生になってしまう……そしたら、お店に来てくれる時間も減るし。今のうちに楽しまないと」
「お店に来なくても、学校で会えるんでしょ」
「私はお店で会いたいの!」
 思わず声を大きくした麻奈美は、慌てて口をふさいだ。見ていた千秋と芳恵は、「やっと素直になったね」と笑っていた。
 文化祭の後、麻奈美は大夢の手伝いを辞めていたが、クリスマスの翌日から復活した。芝原と仲直りした以上、店に行かない理由はなかった。
「勉強するんじゃなかったのか?」
 その平太郎の質問に、麻奈美は「そうだっけ?」と曖昧な返事をした。
「言ったような気もする……けど、まだ二年だし。三月までは今まで通り来るよ。三年になったら、どうしようかなぁ。減らそうかな」
「それが賢明だな。あそこの三年は、特に厳しいからな」
 そんな話をしているときに芝原が来店して、「僕も、来年は勉強に集中したほうがいいと思うよ」と言っていた。
「ねぇ、麻奈美ちゃんは、高校卒業したら大学行く?」
「うーん……まだ決めてない。こないだの模試の結果も散々だったし」
「麻奈美ちゃんは、卒業後の進路は決まってるもんね」
「え? どういうこと?」
 明るく言う千秋に、芳恵と麻奈美は同時に振り向いた。
「先生のお嫁さんでしょ」
「ちょっ、待って、そんな、先のこと……」
「先じゃないよ、来年だよ」
「だからっ、そんな、千秋ちゃんこそ、かっこいい彼氏と」
「私は同い年だから、お金もないし、まだ大学にも行くよ」
「わ、私も、お金ないし、それに、そんな関係じゃ──」
「ほらほら、会いたいんでしょ、行ってらっしゃーい」
「ちょっと、わ!」
「あっ、麻奈美ちゃん、春休み、一回くらい遊ぼうね!」
 楽しそうな友人たちに背中を押され、麻奈美はそのまま大夢のドアを開けてしまった。
 カランコロン……と、やや大きい音が鳴って、やがて静かになった。
「もう──」
 店内を見渡すと、いつもの常連客の姿があった。
 カウンターにはチヨと三郎、奥の席には芝原。平太郎もいつも通り、カウンターの奥で何かを調理中だ。
「ははは、すみません……着替えてきます」
「ああ、麻奈美、待ちなさい、今日は手伝いはいいよ」
 奥の部屋へ入ろうとする麻奈美を平太郎が止めた。
 それから手招きをして、なぜか、芝原セットを持たせた。
「あいつも今来たところなんだ」
「ふぅん……って、こんな、エプロンもしてないし」
「いや、良い。そのまま勉強を見てもらいなさい」
「──え?」
「星城は珍しいから、春休みの宿題、あるだろう。それから来年の予習も」
「あるけど……」
 麻奈美はセットを持ったまま、芝原のほうを見た。いつも通りコーヒーを飲みながら勉強をしているのではなく、ただ座っているだけだった。
「宿題と予習が終わってから手伝いだ。芝原、頼んだよ」
 平太郎に押されて、麻奈美は奥の席へ向かう。先ほどの友人たちとの会話を思い出して、緊張でお盆を落としてしまわないかと心配する。
 何とか無事にセットを運び、荷物を置いてから芝原の向かいに座った。
「芝原さん、忙しい、ですよね?」
「うーん……どうだろう、僕も急に言われて……」
「私、一人で頑張ってみるんで、自分のことしてくださいね」
 平太郎に聞こえないように小声で話しながら、芝原は視線だけ動かして平太郎を見た。
「いや──マスターは、一度言うとしつこいから」
「そうですね……でも、芝原さんって、数学は苦手ですよね?」
「……うん。数学は、浅岡に頼んだ方がいいよ……。それ以外なら、なんとかわかる、はず」
「わかりました。何かあったら、質問しますね」
 そして麻奈美と芝原はそれぞれ自分の勉強を始め、平太郎が麻奈美にオレンジジュースを運んできた。二人が真面目に勉強しているのを見て、カウンターに戻って行った。
 けれど、芝原の向かいで勉強に集中できる麻奈美ではない。
 今まで何度か抱きしめられたのに、改めて近くにいると緊張する。
 それは芝原も同じだったようで、何度も顔を上げて麻奈美の様子をうかがっていた。麻奈美はただ教科書を見つめて、ペンを不規則に動かしていた。
 麻奈美にはまだ伝えていない、彼氏になれない理由──それをいつ伝えるべきなのか考えながら、芝原はため息をついた。
< 54 / 84 >

この作品をシェア

pagetop