角砂糖が溶けるように

7-7 大人と子供

 麻奈美が専門学校受験を決めてから一カ月が過ぎた。芝原は約束通り、進路指導の先生に相談してくれていて、有名大学の資料しかなかった進路指導室に、専門学校のコーナーが新たに作られた。
 進路指導の先生──以前、芝原が職員室前で話していた年配の先生は、麻奈美と芝原の関係を正しく知っていた。麻奈美が「いずれは大夢を継ぎたい」と言ってからは、平太郎や芝原を指導室に呼ぶこともあった。
「麻奈美が羨ましいな」
 最近はあまり姿を見せなかった修二が、珍しく麻奈美のクラスに遊びに来ていた。もちろん、友人と何かするのではなく、麻奈美の隣で腕を組んでいる。千秋や芳恵と進路の話をしていたはずが、いつのまにか、芝原の話になっていた。
「俺も、先生に相談しようかな」
「何を? 修二はどこの大学を受けるの?」
 麻奈美が聞くと、修二は「うーん」と言った。
「とりあえず、どうやったら麻奈美に好かれるのか聞きたいな」
「──片平君、また麻奈美ちゃんのストーカーに戻ったんだ」
「諦めたんじゃなかったんだね」
 千秋と芳恵の呟きを聞きながら、麻奈美はため息をついた。
 麻奈美は芝原が好きだと知ってから、確かに修二は麻奈美を諦めていた。いつもなら遊びに誘いそうな日でも、「店に行くんだろ?」と言ってくれていた。
「いや、戻ってねーから」
「じゃ、なんで?」
「麻奈美のことを一番知ってるはずなのに、他の奴らと同じ扱いされてるし。どうせ報われないんなら、二番手は俺だから」
「……ほかに、修二よりかっこいい人がいるかもね」
 麻奈美の言ったその言葉に、修二はもちろん脱力した。
「そういえばこないだ、城井君が麻奈美ちゃんのこと気にしてたよ」
「城井君が? ふぅん……うちのクラスでいつも噂されてるよ」
 麻奈美ももちろん、城井のことは知っている。出席番号にならんだ座席では、麻奈美の斜め前だった。話したことは数えるほどしかないが、クラスの中では大人びた存在だ。
「で、大学はどうするの? 星城?」
「ああ……そうだな。なんとなく、狙える気がするんだ」
 麻奈美は星城高校に補欠合格だったが、修二は良い成績だったと聞いたことがある。麻奈美でも割と成績は良くなったので、それだけ学力のある修二なら、麻奈美以上に伸びたはずだ。同じ学園でも試験はあって、外部から受けるより難しいと芝原が言っていた。
「あそこなら、先生も知ってるしね」
「そうだね。一番相談しやすいかも。でも、いくら先生でも、麻奈美ちゃんに好かれる方法は、聞いても無駄だと思うな」
「私だけの問題じゃないしね。狙ってる子、多いし」
「じゃ、じゃぁ、好きな女の子にモテる方法、とか……」
「そんなの決まってるよ。周りでチョコマカしないこと。それで、ふられたら潔く諦めること。それしかないね」
 麻奈美の言葉は、修二に真っ直ぐ届いた。
「お、俺は諦めないからな……!」
 けれど、それ以上の言葉は出ないようで、口をぱくぱくさせている。
「でも、麻奈美ちゃん、勝ち目はあるじゃない」
「え? どうして?」
「クリスマスのこと、忘れたわけじゃないんでしょ?」
「クリスマス? クリスマスって、何だよ?」
 修二の質問には誰も答えようとしなかった。
 教室で言うわけにはいかない話──麻奈美と芝原の深い部分の話だと、修二はなんとなく思った。
「でも、あれは……そんな関係じゃ、ないから……」
 芝原は確かに、麻奈美のことが好きだと言った。
 けれど、生徒に変わりない、とも言った。
 生徒と恋愛する気はない、卒業しても変わらない。
「生徒としてか、それか、おじいちゃんの孫としてだよ。他にないよ」
「──相手は大人だもんな」
「ちょ、ちょっと、片平君!」
「大人だよ、先生は──子供なんか相手にしないよ。子供扱いされるのも慣れてるから。良いよもう……どうにも、ならないから……」
 キーンコーンカーンコーン。
 休み時間終了のチャイムが鳴り、外に出ていた生徒たちが教室に戻ってきた。修二と芳恵も、慌てて自分のクラスに戻っていった。
 麻奈美は力なく立ち上がった。
「どうしたの?」
「別に……ちょっと外の空気、吸ってくる」
「え? 授業、始まるよ?」
 しかも芝原先生、という言葉を千秋は呟くように付け加えた。
「──ごめん、保健室行ってる……」
「大丈夫……?」
 本当にふらつきながら歩く麻奈美を、横から千秋が支えた。
 教室を出ようとしたところで、ちょうど芝原と対面した。
「具合、悪いのか?」
「私、麻奈美ちゃんに付き添って保健室に行ってきます。すぐに戻ります」
「ああ……頼むよ」
 麻奈美と千秋が出て行くのを見送ってから、芝原は教室に入った。
 けれど、授業に集中することは出来なかった。教科書を読みながら、持ってきた資料を配りながら、麻奈美のことが心配で仕方がなかった。
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