昨今の白雪姫は小人に胃袋を掴まれている。
毒林檎?いいえ、恋の妙薬です。
雪の様に白い肌、血の様に赤い唇、濡羽色の美しい髪。
初対面の彼女の印象はさながら御伽噺から飛び出て来た人であった。

***

「コビトくぅん、なんとかして」

気の抜けるような少し甘えた声で呼びかけられ、俺はふと思い出した初対面の印象をあっという間に打ち消された。
濡羽色の髪がサラサラと垂れ落ちていくのが煩わしいのか、眉根を下げてヘーゼル色の瞳を潤ませながら此方に助けを求めるのは、俺の雇い主【姫咲 白雪(しらゆき)】である。
不器用に編まれた髪の毛をどうにかしてくれという事らしい。
俺は呆れたように溜息を吐き、今からしようとおもっていた作業を中断し彼女の元へと参じた。

「姫咲先生、毎度言ってますけどコビトじゃなくて小日戸(こひど)です」

もうこのやり取りも日常の挨拶と変わらない。だって言いやすいもの。その一言で勤めてからもうずっと俺の雇い主は人のことをコビトと呼ぶ。

俺の身長は180cm。小人とは大変遺憾ではあるが、白雪姫に仕えている点ではある意味否定はできない。いや、童話の白雪姫は寧ろ小人の世話をしていなかっただろうか。

女児向けの童話の内容など、事細かに覚えてはいない。

俺は先生の絹のように柔らかい髪に触れる緊張を、頭の中でごちゃごちゃ考えることで誤魔化して、彼女の胸元にまで伸びる髪を丁寧に編み上げた。

小日戸(こひど)くんは、器用だねぇ」
「先生が、どうしようもないんですよ。年上のくせに」
「……先生はやめてって言ってるのにぃ!年齢も関係ないでしょぉ?」

甘い、甘い声が拗ねる。リップを塗っているわけでもないのに、血のように赤い唇がツンと付きだし薔薇色の頬が膨れ、俺のことを困らせる。ハイハイと適当に返事をし、俺は先程中断した作業を再開するためキッチンへと逃げるように戻った。


***
俺、小日戸 庵治(あんじ)が彼女の元で働くことになった切掛けは、叔母の紹介だった。

―― ねぇ、庵治。ちょっとバイトしない?

そんな気軽な誘い言葉に丁度求職中だった俺は熟考もせずに乗っかった。
そうして叔母に連れて来られたのが姫咲白雪こと、売れっ子小説家の姫咲先生の自宅だった。

冒頭にも振り返ったが、初対面の姫咲先生は本当に、本当に美しくて息を飲んだし、なんなら正直に言えば一目惚れした。

だがしかし、そんな淡い恋心も吹っ飛びかけるほど招かれた家の惨状といったらなかった。

神様というのは美しさと才能の対価にこの人から器用さと生活力を全て奪い去ったのだろうかとすら思った。

当時、姫咲先生の担当編集者をしていた叔母があまりの惨状を見かねて、俺をハウスキーパーとして雇う提案を姫咲先生にして、この話がまとまったのだという。
俺が断わるという選択肢はなかったのか?と思ったが、求職中だったのは知られていたし、家事も嫌いではないことは把握されていたから叔母の中ではもはやこの就職は確定事項として進んでいたようで、だからこそあの気軽さだったのだろう。
姫咲先生の全神経は基本的に執筆と読書に極振りされており、彼女が常日頃過ごす執筆ルーム兼私設図書館のような書斎以外は全くと言っていいほど手が付けられていなかったし、特に食生活は酷いものだった。
俺が雇われるまで、叔母が原稿の進捗伺いに来る日以外は栄養補助食で空腹が補われるような生活だった。
普通の人間ならそんな生活をして居れば、肌艶はボロボロだろうしなんなら栄養失調で倒れていたっておかしくないというのに、姫咲先生は何故か今も前も変わらず美しい。

いや、俺のプライドをかけていえば、俺が食生活を改善したことで彼女の美貌はさらに磨きがかかっている――と言いたい。

「一目惚れ相手のお世話が出来て、懐も潤って、普通の求人じゃありえないよなぁ」

毎日が目の保養だし、普通のバイトじゃ手に入らない懐の温もりに改めて感動しながら、俺は調理台に並べた食材にようやっと集中することにした。
さっき髪を結ってやったから姫咲先生はしばらく執筆、あるいは資料の読み込みに没頭するだろう。
そうなると途端に食事をおろそかにするから、それを改善するために考え抜いた『姫様の美肌守護サンドとカラフルオムレツ』を作る用意をする。
大層なメニュータイトルを付けているが何てことはない、彼女が本を読みながらでも食べやすく、しっかりと栄養が取れるように考えた結果、辿りついた片手でも持ちやすいラップサンドだ。

「今日はキャロットラぺとささみのペーストサンドと、林檎のコンポートとチーズのサンドにしよう。チーズはカマンベールとクリームどっちにしようかな……」

姫咲先生から与えられた予算は潤沢で、食材を好きに買っていいと言われているからそれならば――と雇い主の美貌もといい、健やかな体造りのための食材を用意している。
求職中は何方のチーズがいいかなんて、そんな贅沢な悩みを持つことは出来ず安いプロセスチーズ一択だったので、これ幸いと悩んでしまう。だがしかしこればかりは完全に好みなのだ。
俺はチラリと姫咲先生を見る。彼女の様子で何方にするか決めようと観察しながら、最初にキャロットラぺとささみのペーストサンドを作る。
ラップサンドは普通トルティーヤに包むことが多いが、個人的なこだわりで少し焼いたサンドイッチ用のパンを綿棒で伸ばして包んでいる。
俺はパンを伸ばし終えると冷蔵庫から作り置きしておいたささみのペーストとキャロットラペを取り出した。ささみのペーストはどうしても離乳食のようなイメージが強いけど、レバーペースよりクセもなく、低カロリーなのがいい。少し味を濃いめにしたレーズンとアーモンドスライス入りのキャロットラペと相性は抜群だ。バターにマスタード、それからささみペーストを塗ったパンにたっぷりとキャロットラペをのせて丁寧にラップで巻き、キャンディのように包みあげて、落ち着くまで暫くおいておく。


「うーん……今日は、カマンベールにしよう!」

姫咲先生が紙面を見ながら綺麗な眉をぎゅっと寄せている。何か納得のいかないことがそこにあるらしい。そういう時はフレッシュなクリームチーズより、コクのある深い味わいが特徴のカマンベールの方がよい。濃厚な味わいが今の彼女の苛立ちを解消してくれそうだ。
迷っていた問題が解決し、俺は次の作業に移行する。
林檎のコンポートづくりだ。
真っ赤な皮が綺麗な林檎を丁寧に洗い、薄くスライスする。コンポートというよりは焼き林檎に近いかもしれない。
シナモンにレモン汁、それからバターと甜菜糖。甘酸っぱい林檎と、濃厚なバターの蕩ける香りをシナモンがピリリと締める。キッチンが幸せな香りで満たされて、つい鼻歌を歌いそうになる。
彼女の邪魔をしてしまわないように、漏れ出てしまった感情をハミングで誤魔化して、ほんのりとピンク色になった可愛い林檎のコンポートの粗熱を取るように平皿に移しておく。
粗熱が取れるのを待つ間に、俺は最後の一皿に取り掛かる。
パプリカにピーマン、それからハムとドライトマトを丁寧に刻んでフライパンでしんなりするまで炒める。
ボウルに卵を割り入れて、炒めた具材を入れて塩・胡椒。玉子焼き用のフライパンにオリーブオイルを塗って、固めのオムレツを作っていく。具沢山だから崩れてしまわないように、細心の注意を払った。丁寧に焼き上げて、林檎と入れ替わりで粗熱を取る。
その間に今度は林檎とカマンベールチーズをちぎる様にのばしたパンの上に乗せ、丁寧に巻いて、人参サラダのサンドの様に暫く落ち着かせる。
そんな事をして居れば、オムレツの粗熱はすっかりと取れていて、木製のまな板の上に置き、食べやすい一口サイズに切り分けてか、可愛らしいハートの付いた女児向けのお弁当用スティックに二個ずつさした。

相変わらず姫咲先生は黙々と活字を追いかけている。
さっき自分が編み上げた髪からほつれた後れ毛を時折掻き上げる仕草が、どうしょうもなく艶っぽい。

「綺麗だなぁ……。」

聞こえないのをいい事に堂々と呟く。この家の惨状を目にして彼女に一瞬抱いた好意が危うく吹っ飛びかけたが、一緒に過ごしていくうちに部屋の惨状などどうでもよくなった。
つまり相変わらず一目惚れからの恋心は継続中なわけで、彼女に甘えられるたびに一人、胸を跳ねさせている現状をどうしたものかと時折考える。

「いっそ、結婚してくださいって言ってしまおうか?」

俺以上の主夫なんていないだろう、なんて自惚れてみて唐突に理性が行き成り結婚とか重いし、先生がそういう目で俺の事を見ているかわからないだろう?と殴りつけてくる。
こんな妄想と理性の殴り合いはここに勤めてからもうそろそろ1年以上といったところだ。
とりあえず今日も理性が殴り勝ったおかげで冷静になれた。万が一にでも雇い主と気まずくなったならこの快適な職場を手放さなくてはいけなくなるのだから。落ち着きを取り戻した俺は、慣れたようにホーロー製のミルクパンを取り出す。
彼女のブランチタイムに合わせてサーブできるようにホットドリンクも用意する。
シナモン、八角、グローブにカルダモン。スパイスを沢山入れたチャイを、ヘルシーな無調整豆乳で。砂糖の代わりにハチミツを入れて、煮たててしまわないように集中した。

「いい香り~」

気の抜けるような声が部屋に響く。本を読みながら食べられるようにと用意し始めたものだけど、最近、時々彼女の集中力が活字から離れ、俺に向けられる事がある。この瞬間がいつも堪らなくて、つい頬が緩んでしまう。

「ブランチにしましょう? 先生」
「だから、先生は嫌だっていってるでしょ?」

頬を膨らませて拗ねる姿は、年より幼く愛らしい。俺はミルクパンから丁寧に豆乳で作ったチャイを、彼女のお気に入りのマグカップに注ぎ入れて、先程休ませて置いたラップサンドを可愛らしいワックスペーパーで包み直してトレイにマグカップと一緒にトレイに載せる。白い花型の小皿にはカラフルな一口サイズのオムレツピンチョスを添えて。

「白雪姫様、どうぞ召し上がれ」

恭しく彼女の座る席にトレイをサーブすれば、それも嫌なんだけどなぁとまた唇を尖らせる。林檎のように赤い唇は魅惑的で、可愛いと思う反面、理性が負けるからやめても欲しい。

「全く、こんなに私の胃袋を掴んでおいて、悪い子だなぁ。私の庵治(おうじ)様は」
「……え?」
「白雪姫に林檎だなんて……」

――恋に落ちるプロセスだって分かってる?

二種類あるうちの林檎のロールサンドを真っ先に手に取って含んだ小さな唇が、蠱惑的に口角をあげる。
俺は1年越しに初めて呼ばれた下の名前のインパクト以上に、彼女の微笑みに魔法を掛けられたように動けないまま理性の白旗を見た。
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