ワインとチーズとバレエと教授【番外編】

3



2018年9月後半ー
誠一郎は初めての教授回診を
行おうとしていた。

今まで父がやってきたことを
自分が引き継ぐことになるー

「…では、皆さん行きましょうか」

医局員は全員が
「はい!」と大声を上げ
一斉に階段を駆け上がろうとしたとき

「皆さん、私も階段で
病棟まで行きます」

「あ、いえ…」

野沢医師が戸惑った。

「藤崎先生はエレベーターを
お使いください…」

この国立大学精神科は
教授がエレベーターを使用し
その他の医局員は
階段を駆け上がり
教授がエレベーターで
到着するのを待つのが
伝統だった。

「そのような伝統は
不必要です、私も健康のため
皆さんと階段で上がります
では、行きましょう」

医局員は申し訳なさそうに
していたが、いつまでも
古い体育会系の
教授回診は古いと
誠一郎は思っていた。

かつて、自分も、父の
教授回診のとき、
エレベーターで到着する父親に
間に合うよう
8階まで階段を駆け上がり
他の医局員と同じく
エレベーターから出てくる
教授の父を整列して待っていた。

が、それはもう父の代で
やめにしたかった。



階段を一緒に上がる誠一郎の後ろに
他の医局員もゾロゾロついてくる。
そのとき、誠一郎は

「…皆さん、今日の教授回診は
何があっても、患者を
叱責しないようにお願いします」

「……はい」

野沢医師が代表で返事し
他の医局員にも、
目配りしてるのが見えた、

今日の教授回診が、どうなるか
ここにいる、全員が
分かっていたからだ。


数十名の医師を引き連れて
初めて入った患者の病室で
誠一郎は、いきなり
バシャとコップの
水をかけられた。

ひたいから、ポタポタ
水がたれた。

誠一郎に水をかけた
50代の女性は

「アンタの父親は私のことが
頭が悪いと言ってたけど
息子のアンタも
そう言いに来たのかい!?」

こうなることは、
誠一郎には想定内だった。

「父が本当に申し訳ありません」

「親父が親父なら
息子も息子よ!
また私を罵りに来たのかい!?」

この40代の女性は統合失調症だった。
薬を飲んで安定しているものの
まだ不安定で入院中だった。

そして、退官前
父親が暴言を吐いていたことも
聞いていた。

「この度は、父が本当に
申し訳ありません」

誠一郎は静かに頭を下げた。

こうやって、誠一郎の
初めての教授回診が始まった。

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