ワケあり王子は社員食堂の女神に恋をする

4.近寄る距離



元々、同じ路線で通勤していることは、以前駅で出逢った時からお互いわかっていた。

ただ、岳の住むマンションは会社のある最寄り駅から十分程、電車で行った場所にある。
桜葉と初めて出逢った駅も、そもそもが岳の住んでいる最寄り駅だったのだ。

対象的に桜葉の住むアパートは会社の最寄り駅から三十分程離れた、比較的リーズナブルな物件が揃うエリアにある。
近くには庶民的な店や商店街などが並び、一人暮らしの大学生や独身者、ご年配の方が多く住んでいる印象。

言うなれば自分の最寄り駅を通り越し、岳はわざわざ桜葉の住む最寄り駅まで送ることになったという訳だ──


「院瀬見さん、どうかしましたか?」

桜葉が住む最寄り駅を降りて数分経った頃、ふと後ろを振り向き一点をジッと見つめる岳に桜葉はそう問いかけた。

「──…いや、何でもないよ。
それよりこの駅って初めて降りたけど、結構店もたくさんあって住みやすそうな所だね」

「そうなんですっ!
──あっ、あそこの焼き鳥屋さんなんて安い上にとても美味しくて、それにそこの居酒屋も庶民的な値段で有名なんです、院瀬見さんも是非今度一緒に……〜って、あ、えーとあのすみません、今度なんて私何言ってるんでしょうっっ!
あっ…わ、私のアパート、この階段を上ればすぐですのでっ」

(…って、は…恥ずっ〜!
本当っ…私ったら調子に乗って何、院瀬見さんのことを誘おうとしたんだろ。
── ただ、何気に……飲みに行くのって地元を出てから食堂の同期や先輩だけだったから、つい──)

こんな、 “つい” というノリで飲みに誘う言葉が出てしまったのはきっと、桜葉にとって岳との食事が思いの外、楽しかったということではないだろうか。

自分の失言に少し顔を赤らめ俯いたまま歩いていると自分より遥か上から、「そうですね、また食事にでも行きましょう」という言葉が突如として降り注いできたのだ。

きっと彼はこんな曖昧な誘いなんて聞き流すだろうと勝手に思っていた。
そんな所に賛同する言葉が舞い降りてきたものだから、桜葉は岳の顔を見上げ思わずジッと眺めてしまった。
岳の顔はいつもと変わらずのクールで優しげな表情……けれども、

(あれ、院瀬見さんの耳…真っ赤? え、も…しかして、照れてる?!──うそ、意外…院瀬見さんって噂されているイメージとだいぶ違う)

今日一日だけで岳の意外な一面をいくつか垣間見えて何だかとても得した気分の桜葉。
そして二人が長い階段を上りきると目の前に現れたのは木造二階建てアパート──築四十年ほどは経っている代物だった。



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