春送り〜藩医の養父と娘の禁断愛〜

第参話 春追い人

「七さん?」

 駆けていくお春の背を追えぬまま立ち尽くしていた俺に、お千が名を呼んだ。
 俺は呆然としたまま振り返った。

「お千。あんた、本当に肩を打ったのかい」
「え……」

 お春が洗い場から戻ってくるのに合わせて、俺がお千の着物を脱がすよう仕組んだ。
 そんな想像がよぎって、患者に八つ当たりをする自分に嫌気がさした。

「いや、すまねぇ。忘れてくれ。見たところ赤くもなっていないし、腫れもない。打ち身に効く薬草を渡しておく。辛かったら葉を揉んで痛むところに当てて、最後に布で固定しな。金はいらない。世話になったからな」
「七さん、うち」
「悪い。今、頭がお春のことでいっぱいなんだ。薬を受け取ったら帰ってくれ」

 気が急く。
 薬草保管用の木棚から薬草を数枚取り出し、紙に包んでお千に渡す。
 お千はとうに着物を直していた。

「今まで世話になった。心からお礼を言うよ。けど、もういい」

 もういい。
 お春が泣きながら叫んだ言葉が、耳の奥に張りついている。

「あの子も大人になったし、面倒を見てくれなくていい。これからは、自分のために日々を過ごしてくれ」
「……うちを、もろうてくれんのやなぁ」

 お千のか細い声に、罪悪感が込み上げる。
 周囲が望むよう接してみたが、愛することはできなかった。
 きれいな女だとは思う。だが、抱きたいとも娶りたいとも思わなかった。

「幸せになってくれ」

 これしか言えなかった。
 お千は頭をひとつ下げて家を出て行った。
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