世界樹の下で君に祈る
第4章

第1話

 翌日の早朝、朝一番に仕上がった書簡に、エマお姉さまと私、リシャールの三人が直筆のサインを入れる。
それを伝令に持たせ、先にボスマン研究所へ向けて出発させた。
突然のお忍び旅行だ。
王都郊外にある研究所には、午前中にでも馬車で出発できれば、日の暮れる前には到着出来るだろう。
それまでには、宿の手配も何とかなる。
馬車一台と付き人も最小限に抑え、予定通り太陽が真上に昇りきる頃には、出発の準備が整っていた。

「では、行って参りますわ」
「気をつけて」

 忙しいお姉さまに変わり、見送りに来てくれたのはマートンだった。

「リシャール殿下。ルディさまとリンダをよろしくお願いします」
「あぁ、ご安心を。卿の代わりとまではいかなくても、無事に二人を送り届けて参りますよ」

 にっこりと微笑むその姿は、完全に王子の笑顔だ。
非の打ち所のないその仕草には、誰も文句の付けようがないだろう。

「マートン。お姉さまをよろしくね」
「はは。エマも君のことを心配していたよ」

 彼の深い緑の目に見つめられ、ドクンと心臓が高鳴る。
子供のように抱きしめられるかと思った腕は、私をエスコートするために差し出された。

「聖堂のこれからの未来にとっても、大きな仕事になるかもな。大丈夫。ルディならやれるさ」
「ありがとう。頑張ってきます」
「あの小さかったルディが、嘘みたいだな」

 恥ずかしさに顔を赤くしながらも、彼に支えられ馬車に乗り込む。
続けて自分から乗り込もうとしたリンダの手を、リシャールが取った。

「リンダ。こういう時は男が手を差し出すのを、待っているものだ」

 リシャールの腕が彼女を抱き上げる。
そのまま馬車へと乗り込んだ彼は、私の向かいの座席まで運んだリンダを、ふわりとそこへ下ろした。
慣れないリンダは、珍しくそれに緊張してしまっている。
彼もそのまま、リンダの隣に腰を下ろした。

「では、行ってくる」

 リシャールが窓からマートンに手を降ると、彼は深々と頭を下げた。
馬車が動き出す。
私も手を振ったのに、マートンはそれにニコッと笑顔で応じるだけで、手を振り返してはくれなかった。
私を大人として扱ってくれた。
だけど遠ざかってゆく彼の姿が、たまらなく寂しい。

「ふむ。マートン卿のお見送りとは。実に残念だ」

 いつまでも窓の外を眺めていた私に、リシャールが呟いた。

「どうせなら、エマさまの方がよかった」
「本気でまだ諦めておりませんの?」

 リンダと私は、今回は聖女見習いの生徒として、聖堂の制服を着ていた。
リシャールもいつもの派手な白い正装ではなく、落ち着いた普通の貴族らしい服装をしている。

「諦めるわけなどないでしょう。彼女は私にとって、永遠の憧れですよ。聖女としても女性としてもね」

 私だけでなくリンダもいるせいか、若干崩れてはいるものの、貴公子としての最低限の言動は維持しているようだ。
私といる時だけの乱暴な素振りは、リンダには見せるつもりはないらしい。

「ルディからお聞きしましたけど、殿下は聖女がお好みなのですか? あまり聞いたことのないご趣味ですよね」

 そう尋ねたリンダに、彼はにっこりと全開の笑顔で答えた。

「好きになった人が、たまたまそうだっただけですよ」

 ニコニコと上機嫌なまま、リンダを見つめる。

「あなたもそうですよ。リンダ。聡明なだけでなく、このように美しい黒髪を持った女性に、初めて出会いました」

 彼女の隣に座る彼の手が、細く長い黒髪を指ですくう。

「この髪に触れることが許される男は、私の他に誰かおりますか?」
「わたくしでございますわよ、リシャール殿下!」

 こんなのがこれからしばらく続くのかと思うと、それだけで腹が立つ! 
私はリンダとリシャールの間に割り込むと、彼女の髪を掴む彼の手を振り払った。

「お邪魔しますわね、リシャールさま。お気になさらず!」
「君は男ではないだろう! リンダに思う相手がいるのかどうかということを聞いているんだ!」
「知りませんわよ、そんなこと!」
「はーい。私、好きな人いませーん!」

 さすがに三人が同じ座席に並んで座ると、かなりぎゅうぎゅうの押し合いへし合いになってしまっている。

「ルディ! これではいくらなんでも狭いじゃないか。ほら、リンダ嬢もお困りだ」
「一番困ってるのは、殿下のことですわ」
「なぜ困る?」
「まぁ、聖堂に残ると言われても、こちらも困りましたけど? そうしたら本当に、リンダだけが一人で来ることになったのかしら」
「それはムリよ。ルディが来なければ、話にならないから。私だけだったら、博士は絶対相手なんかしてくれない」
「そんなことないわよ。リンダの実績があれば、博士も話しくらい聞いてくれるはずだわ」

 リシャールを城内に残したまま、ボスマン研究所に行かなければならなかった場合を考えると、ゾッと背筋に悪寒が走った。

「ほら。やっぱり私が君たちに同行してよかったじゃないか」

 彼は腰を浮かせると、ストンと向かいの席に移動した。

「こうやって、素敵な女性二人のお供役を務めるのは、私にとっても心躍る旅ですよ」
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