あの日の出会いを、僕はまだ覚えている
「魚になったらさ、どこへ行きたい?」

海生くんは釣りをしながらわたしに問う。
コンコンと竿先が揺れるのを見ながら、わたしは考える。

魚になったらどこへ行きたいか。

そういえば、深く考えたことはなかったかも。
ただ、自由にどこへでも行けるんだろうなって、そんな漠然とした想いだけ。

「……どこに行こうかなぁ?」

「なんだ、行きたいところがあるわけじゃないんだ?」

「うん。その時に行きたいなって思ったところに泳いでいきたい」

「ははっ。なんかいいな、そういうの」

海生くんはニカッと笑った。
あまりの爽やかさに目が眩みそうになった。

その後も少し釣りをやらせてもらってすっかりと打ち解けたわたしたちだったけど、この時間が終わりを告げようとしているのを夕日が沈む風景を前にしてじわりじわりと実感していた。

なんていうか、胸がいっぱいになるっていうのかな。
素直にすごく楽しかった。
きっともうわたし達は会うことがないだろうけど、今日の思い出は一生忘れない気がする。

それくらい楽しくて、そしてちょっと不思議な時間だった。
引っ越す前にこの場所で素敵な思い出ができてよかったな。

そんな余韻に浸りながら海生くんが釣り道具を片付けているのを見ていると「あのさ」と海生くんが顔を上げる。

「なに?」

「今日はありがとう。楽しかった」

「あっ、わ、わたしも!」

本当に本当に楽しかった。
まさかの勘違いから始まった出会いだったけど、短時間でいろんなことを話した気がする。

「ね、もし魚になったら、一番に海生くんに会いに行くね」

魚になるだなんてあるわけがない。
だからこの約束は果たされることはないのだけど。

それでも海生くんはニカッと笑って言った。

「じゃあ俺が魚月ちゃんを釣り上げるよ」

と――。

その言葉はすっと体に馴染んでいく。
まるで心が震えるように、わたしは胸がいっぱいでたまらなくなった。

ああ、魚になりたい。
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