失恋カレシ〜2.5次元王子様と甘々極秘契約同棲はじめます!?〜

 ふと、スマホが鳴った。
「あ、ごめん」
 画面を見ると、波音だった。沙羅を見る。出ていいかと尋ねる前に、沙羅に「どうぞ」と言われた。
 通話ボタンをタップする。
「もしもし」
『あ、桜? ごめんね、今大丈夫?』
「うん。どうしたの?」
 どきどきしながらも、平静を装う。
『今日は外食したいから、晩御飯は作らなくていいって伝えたくて』
「え、そうなの?」
(もしかして、だれかとどこかで食べるのかな……)
「……そっか。わかった」
 それじゃあ、と通話を切ろうとしたとき。
『あ、桜も食べないでね』と慌てて付け足された。
「えっ? 私も?」
 どういうことだろう。
『うん。今晩はふたりででかけたいんだ』
「えっ……ふたりで?」
(それって……)
『ふたりでたまには外食もいいかなって』
「……いいの?」
 嬉しい。ものすごく。
『もちろん。桜、いつも頑張ってくれてるからさ。あ、ごめん呼ばれちゃった! 行かなきゃ。そういうわけだから、夜八時には家にいてね。じゃっ』
 電話の向こうから波音を呼ぶ声がしたかと思うと、波音は早口で要件だけを告げ、一方的に通話を切ってしまった。
「あっ……波音!」
「ディナーデートかぁ。いいねぇ、若いねぇ」
 沙羅がむふふ、と笑いながらからかってくる。
「そ、そんなんじゃないから! 断じて!」
 波音に好きな人がいると聞いたばかりで、なにを喜んでいるのだと自分を諌める。波音はただ、私に気を遣って労ってくれてるだけだ。
 勘違いするな。しっかりしろ。
 自分に言い聞かせていると、沙羅が目を細めてじっと私を見つめていることに気付いた。
 すごい目力だ。
「……な、なに?」
「ううん。ただ、桜が元気になってよかったなって」
「え」
「真宙くんと別れたときはどうなることかと思ってたから。もう生命力の欠片もなくて、死んじゃうんじゃないかって」
「そんな……大袈裟だよ」
 思わず苦笑すると、沙羅はムッとしたように私を見た。
「大袈裟じゃないよ! 六年間想い続けた冬野とやっと付き合ったと思ったら、あんな形でダメになって……挙句ほかの女に利用されてSNSで炎上して仕事まで辞めちゃうし。本当に心配したんだよ」
「……ごめん」
 たしかに、あの頃は辛かった。
 仕事を辞めてしばらくはなにをする気も起きなくて、寝ることも、食べることすら疎かにしていた。
 あの頃を振り返って苦笑する。
(……そういえば、最近少し太ったかもしれない)
 波音と一緒に食事をするようになってから、というか、波音にあーんされるようになって、ちゃんと食べるようになったからかもしれない。
「…………」
 もしかして、と思う。
「ねぇ、私って傍から見ても心配になるくらいやつれてた?」
 沙羅がきょとんとする。
「え? うん、そうだね。病的にやせ細ってたし。あのときは桜の口に無理やりぶどう糖でも突っ込んでやろうかと思ったよ」
「だからあのときも飲みに誘ってくれたの?」
「おう。酔わせて食わせる作戦だった」
 ドヤ顔で沙羅が言う。つい、ぷっと笑ってしまう。
「……なにそれ」
「もう心配なさそうだけど」
「……うん。もう大丈夫。ありがとう。心配かけてごめんね、沙羅」
 沙羅が笑顔で首を振る。
「いいよ。桜が元気ならなんでもいい」
 その笑顔を見て、ふと思う。
(……もしかして、波音が私に無理にでもあーんしてきたのって……私にご飯をちゃんと食べさせるため?)
 胸がざわつく。
 ふだんとびきり優しい波音の、少し強引な甘やかし。
(あれは舞台の練習じゃなかった……。ただ私に栄養を取らせるためだったんだ)
 今さら波音の優しさに気付く。
(……そういえば、初めて真宙くんにふられたときも、波音にお菓子を餌付けされた気が)
 ふと、高校生のときの記憶が思い起こされた。
 優等生で真面目な真宙くんと違って、波音はサボり魔だった。不良だったわけではないのだが、授業が面倒だったのか、よく旧校舎の空き教室に隠れて昼寝をしていた。
 普段から波音と仲が良かった私が、先生に指名されてよく呼び戻しに行っていたのだ。だけどあの日――真宙くんに初めての告白をしてふられた日だけは、私も授業をサボったのだ。
 教室で真宙くんと顔を合わせるのが怖くて、授業に出ずに朝から体育館裏に隠れていた。
 ひとりで泣いていた私を見つけてくれたのが波音だった。
 波音は私を見つけるなり、教室へ連れ戻すわけでもなくただ黙って隣に腰を下ろして、うたた寝していた。
 そのままその日は波音も授業を一緒にサボってくれたのだ。
 そういえば……あのとき私、不良じゃないくせになんでサボるのかって波音に聞いた気がする。
(波音は、なんて答えたんだっけ……)
 ぼんやり高校時代のことを思い出していると、
「――桜? ぼーっとしてどうしたの?」
 沙羅の声でハッと我に返った。
「あ、ううん。なんでもない」
「ま、波音と出かけるなら周囲の目には気を付けるんだよ。週刊誌とか最近結構しつこいし、波音のファンとか、業界人でも波音を好きな女子はいっぱいいるから」
「やっぱり波音ってモテるんだね……」
「あのルックスだし、それがなくても波音って真面目で努力家だし、現場でも礼儀正しいからね。男女問わず好かれてるよ。みんな波音の事務所に入りたがってるくらい」
「……そっか」
(……モテるだろうなとは思ってたけれど)
 そこまでとは。
(芸能人ってプライベートにまで気を遣わなくちゃいけないんだ……)
 大変だ。
 でも、それならなんで波音は私に失恋カレシの契約なんて持ちかけたのだろう。
 一般人の私と同棲なんてバレたらかなりの記事になってしまうだろうし、そこまでしなくても練習に付き合ってくれる女の子ならほかにいくらでも確保できただろうに。
(私が落ち込んでたから? それとも……)
 うっかり都合のいい解釈が過ぎってしまう。
(ないない。波音には好きな人がいるんだってば!)
「ねぇ桜、やっぱり波音のこと気になってるでしょ?」
「……ないない! 有り得ないって!」
 わざと笑ってみせた。
「波音は高校時代からの大切な友達! 私が真宙くんを追いかけていたときもたくさん相談に乗ってくれたし、応援してくれていた。つまりそれは、波音の中で私は恋愛対象ではないってことでしょ?」
「いや、だからそれは……」
 今ならまだ引き返せる。
 今なら、この気持ちを手放せる。
「もうこの話はやめよう! それより、沙羅の話を聞かせて!」
 無理やり話題を変えると、沙羅はそれ以上言及することをやめた。ホッとする。
『だって波音、ずっと好きな人いるから』
 けれどその後も、頭の中では沙羅の言葉がずっとリフレインしていた。
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