婚約破棄されたので、好きにすることにした。
 すると脳裏に浮かんだのは、なぜかふたつの名前だった。
 ひとつは、橘美紗。
 二十八歳で、地方の公務員をしていた。
 趣味がたくさんあって、休日はいつも外出しているような、活動的な人間だった。
 もうひとつは、クロエ・メルティガル。
 メルティガル侯爵家の娘で、このアダナーニ王国の第二王子、キリフの婚約者である。
 クロエの年齢は十七歳。
 気弱でおとなしく、父や婚約者のいいなりだったようだ。
(ああ、そうだった……)
 名前を思い出すと、少しずつこの状況が理解できるようになった。
 「今」の自分の名前は、クロエ・メルティガルだ。
 色素の薄い金色の髪に、水色の瞳。白い肌。
 全体的に色彩が薄く、ぼんやりとした印象でおとなしい娘だったので、周囲からは地味な令嬢と蔑まれていた。
 父であるメルティガル侯爵は騎士団長で、これがまた絵に描いたような男尊女卑の男だ。
 大切なのは、息子たちだけ。
 娘である自分はもちろん、妻である母でさえ、父にとってはただの道具に過ぎない。
 目の前に立って、こちらに凍りつくような視線を送っているこの青年――。第二王子キリフとの結婚を命じたのも、その父だ。
< 2 / 266 >

この作品をシェア

pagetop