アオハル・スノーガール

レトロな喫茶店とアイスティー

 冷房のきかないバスで溶けそうになっていたけど、見ず知らずの男の子に助けてもらった。
 優しい人って、いるもんだなあ。ふふふ、世の中案外、捨てたもんじゃないかも。

 そういえば昔私も同じように、熱中症にかかった男の子を、助けたことがあったっけ。
 確かあれはまだ、小学校に上がる前の、夏の日のこと。お盆に家族で、おばあちゃんの家に行った時の話。
 初めて来た田舎だったけど、私はそこが気に入って。一人で近所にある公園に、遊びに出掛けたんだ。

 お婆ちゃんの家の周りは緑が多くて、熱を吸収するコンクリートだらけの東京よりも、ずっと涼しかった。

 日差し避けに麦わら帽子をかぶって、楽しく散歩していたんだけど。公園の入り口まで来た時、中から私より少し年上くらいの女の子が、血相を変えて飛び出してきたんだよね。そして。

『ねえ君、保冷剤持ってない!?』

 その子はいきなり、私の肩を掴んで言ってきた。だけどその時は生憎持っていなくて、すると女の子は慌てながら続けた。

『弟が熱中症にかかって、動けないでいるの。私、誰か大人の人呼んでくるから、悪いけど君、弟のことを見ておいてくれない。お願いね』

 少し人見知りな所があった私は、「はい」も「いいえ」も言うことができなかったけど。急いでいた女の子は返事も聞かずに、駆けて行ってしまった。
 だけど見ておいてって、どうすればいいの?

 とりあえず公園の中の様子を伺ってみると、砂場の隣にあるベンチに、私と同い年くらいのサラサラな髪をした男の子が、ぐったりと横になっているのが見えた。

 た、大変!
 暑さによる苦しみを誰よりも知っていた私は、その子を放っておくなんてできなくて、大慌てで駆け寄る。

『ねえ、大丈夫? 君、お名前言える』

 すると男の子は閉じていた目をゆっくりと開いて、細い声をしぼり出す。

『……レ、レイ…………』
『レイくんだね。今お姉さんが助けを呼びに行ってるから、がんばって』

 そうは言ったものの、男の子はとても辛そう。
 どうしよう。水道でも探して、手で水を汲んでこようか?
 だけど、そんなんで運べる水の量なんてたかが知れてる。かと言って、男の子をかついで水道を探すなんてできないし。あ、そうだ!

 水を汲んでくるよりも、男の子を運ぶよりも、確実に冷やせる方法があるじゃない。だって私は、雪女なんだもの。
 本当は、人前で力を使っちゃいけないって言われているんだけど、そんな事言ってる場合じゃないよね。

 私は男の子の顔の前に手を持ってくると、手の平を上にして。口の中に意識を集中させながら、そっと息を吹き掛けた。

『ふうっ』

 口からこぼれたのは、冷気の吐息。
 吐き出された息は雪の混ざった風になって男の子を包み込む。
 これぞ雪女の成せる妖術、雪の息吹き。昔話ではこの術で人を凍らせるなんて話もあるみたいだけど、もちろんそんな事はしない。
 どんな術でも、使い方次第。これで暑くて苦しんでいる男の子を、助けるんだ。

 涼しい空気を送るにつれて、だんだんと男の子の表情が、穏やかなものになっていく。
 良かった、これでもう大丈夫そう。
 ただこの術、けっこう疲れるんだよね。顔色がよくなった男の子とは逆に、私の方はへとへとになっちゃった。
 そしてそんな雪を操ってみせた私を、元気になった男の子は不思議そうに見てくる。

『今のは、なに?』
『え、ええと。その、ゴメン、詳しくは話せないの』

 雪女だってバレたら騒ぎになっちゃうから、ナイショにしなきゃダメだって、いつもお父さんとお母さんから言われていた。
 緊急事態だったからつい術を使っちゃったけど、よかったよね?

 でも男の子が助かったのなら、長居は無用。さっきの姉ちゃんが帰ってきて、どうやって助けたのって聞かれたら、答えられないもの。
 そうなる前に、ここから立ち去らないと。あ、でもその前に。

『君、お願い。今見たことは、誰にも言わないで。ナイショにしておいてくれないかな』
『う、うん』
『ありがとう。それじゃあ、これからは倒れないよう気を付けるんだよ。バイバイ』

 ポカンとしている男の子と約束した後は、一目散に去って行った。

 それは遠い、夏の日の出来事。あの時私は、自分が雪女で良かったと、心から思った。だってそのおかげで、男の子を助けることができたんだから。

 だけどそれから10年経って、今度は自分が暑さにやられているところを助けられるなんて。
 情けは人のためならずって言うけど、もしかしたらあの日の行いが、巡り巡って返ってきたのかも。
 よく冷えたアイスティーを飲みながら、私はそんな事を考えていた。

 冷房がまるで効いていないバスで倒れそうに、溶けそうになっていたけれど。親切な人に助けてもらって、案内されてきた喫茶店。
 バス停から少し歩いた先、商店街の外れの路地裏にポツンとあったそのお店は、まるで昭和の時代にタイムスリップしたような、レトロな雰囲気があって。どことなくオシャレを感じさせる、素敵なお店だった。

 店内は涼しくて、ここなら快適に時間を潰せそう。そして、驚いたのは。

「どうぞ、ご注文のアイスの盛り合わせです」

 目の前に置かれたガラス製の器に入っているのは、バニラ、チョコ、イチゴという、カラフルな色をしたアイス達。
 だけど私はそんなアイスよりも、それを運んできたウェイターさんの方に目がいってしまっている。
 白と黒を貴重としたシックな感じの制服に身を包んでいるのは、バスで保冷剤をくれて、ここまで案内してくれた彼だったのだ。

「ありがとうございます。ここの店員さんだったんですね」
「店員って言うか、ここが俺の家なんだけどね。父さんがマスターやってるから、手伝ってるだけ」

 彼がチラリと目をやった先には、オールバックの上品な雰囲気のマスターが、お客さんにコーヒーを淹れている。

 お父さんのお手伝いかあ。見た感じ歳は私と変わらないくらいなのに、働き者なんだなあ。
 すると彼は表情を変えないまま、静かに言ってくる。

「一時間くらいしたら次のバスが来るから、それまでゆっくりしていくといい。急ぎの用があったりしないよな?」
「はい。おばあちゃんの家に行こうとしてたんですけど、さっきスマホで遅れるって連絡入れておいたから、大丈夫です」
「そっか。なら良かった」

 ニコリともせずにそう言うと、別のお客さんの対応に移っていく。
 だけど愛想は良くなくても、優しい人だなあ。保冷剤くれたし、ここまで案内してくれた時には、荷物を持ってくれたし。

 そんな事を考えながらアイスを口に運ぶと、途端に全身に冷たさが広がっていく。

 うーん、冷たくて美味しい。
 雪女にアイスクリーム頭痛なんて物はないから、どんどん食べ進められちゃう。
 だけど夢中になって食べていると、ふと視線を感じて。見ると彼と目があった。

 え、ひょっとして、見られてた?

「あの、私の顔に、何かついていますか?」
「悪い、別にじろじろ見るつもりはなかったんだけど。あと、頬にイチゴアイスがついてる」
「うそ!?」

 あわてて紙ナプキンで頬を拭う。
 み、みっともない所を見せてしまってすみません。
 だけど恥ずかしさで小さくなっている私を見ても、彼は笑ったりはしない。

「別に気にしなくてもいいから。美味しそうに食べてもらえたら、こっちも嬉しいし」

 彼はほんの微かに表情を緩ませて。それを見てまた、胸の奥が熱くなってきた。

(何だろう、これ。おかしいな、アイスを食べて、体は冷えたはずなのに)

 残っていたアイスを急いで食べて、アイスティーも飲み干したけど、原因不明の熱はまだ取れない。
 ま、まあいいか。幸い身体は溶けていないし。もうそろそろ、次のバスの時間かな。

「アイス、ご馳走さまでした。そろそろ行きますね」
「もう行くのか? だったら、これを持って行け」

 そう言って彼が奥の冷凍庫から取り出してきたのは、キンキンに冷えた保冷剤。
 さっきもらった保冷剤は、もう温くなっているから助かるけど、何だか至れり尽くせりだ。更に驚いたのはお会計の時。

「アイスティーはサービスだから。元々、俺が連れてきたわけだし」
「いえ、さすがにそういうわけには。ちゃんと払いますから」

 助けてもらった上にアイスティーまでご馳走になるだなんて、さすがに申し訳ないです。
 だけど彼は頑なに譲らなくて。最後はいつかまたこのお店に来て、売り上げに貢献するから今回はサービスということで、話がついた。
 だけど彼、メチャクチャ良い人。

 実は最近、ある事情でちょっと人間不信になりかけていた。学校でとても、とても嫌な事があって、心が凍てついてしまいそうなくらい、苦しかった。
 だけど世の中にはあんな優しい人もいるって思うと、前向きな気持ちになれる。世の中案外、捨てたものじゃないね。

 だけど、ボストンバッグを手にお店から出て、バス停を目指して歩いていると、ハタと気がついた。

(そういえば彼の名前、聞いてなかったなあ)

 うーん、まあ良いか。次に行った時に、聞けば良いんだし。
 外は相変わらずの暑さだったけど、もらった保冷剤のおかげでそんなに苦にならなくて。私の心は、とても爽やかで涼しかった。
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