今会いに来ました。 カフェラテプリン道中記
 新校舎はというと、移転当時はまだまだ工事中だった。
教室だけを先に作って大急ぎで移転させたんだ。 無理な引っ越しだった。
おかげでプールも体育館も特別教室も無い中途半端な学校だった。
 プール 体育館 理科室 調理室 高等部音楽室が作られたのはそれから4年後のことだった。

 この昭和53年春はぼくにとって忘れられない時になった。
岡山に居た父の祖母が亡くなったんだ。
連絡を受けたのは春休みに入ってすぐだった。
翌日には両親と共に岡山へ向かったよ。
 父は倉敷市の出身で、炭鉱マンとして福岡で働いていた。
その頃の筑豊は炭坑景気に沸き上がっていて全国から人が集まっていた。
 その中でまだ高校生だった母と出会ってぼくが生まれたんだ。
 祖母は頑強に反対したという。
「何処の馬の骨とも分からぬ男の子供を産むことなど絶対に許さん!」
周囲の人たちも祖母に倣って反対していた。
その中でぼくは生まれたんだ。
 予定日より二か月も遅れていたという。
生まれることを躊躇っていたのかもしれないな。

 それでも母さんはぼくを産んでくれた。 だから今が有る。
このめちゃくちゃでハチャメチャな時代に生まれ合わせたのも意味が無いわけではない。
こうして君に会えたのだからね。
< 6 / 16 >

この作品をシェア

pagetop