偽装溺愛 ~社長秘書の誤算~


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 自宅まで迎えにいくと言ったが、姫は断った。

 待ち合わせをしてみたいから、と。

 だが、駅前のような人通りの多いところを想像してみれば、レストランでいいと言う。

 おかしい。

 今までの姫ならば、誰にというわけでもなく見せつけるために、腕を組んで街を歩きたがったはず。

 それに、三十分も前にレストランに来ていて、俺の顔を見てもタックルしてこない。

「やっと二人きりでお会いできましたわね」

 落ち着き払った表情と声も、いつものテンション上げ上げの奇声とは違って、年相応の淑女に見える。

 見えるといえばもう一つ。

 服装と化粧、髪型もだ。

 紺のワンピースは裾が長く、襟も鎖骨が見えるかどうかくらいの深さで、丈の短いジャケットで腕も隠している。

 まつ毛もバサバサいうほどの長さもボリュームもなく、目の周りも青くない。唇も自然なオレンジ色で、テカッてない。

 鳥の巣はおろか、鳥の羽も刺さらないような艶のある黒髪は、真っ直ぐ背中を覆っている。

 まるで別人だ。

 初めて姫を見た時、梓ちゃんが二十代だと勘違いしたと言っていたが、今の彼女は違う意味で若く見える。

 不自然なほど作った若さではなく、自然な肌や髪の美しさが醸し出す若さ。

 今の彼女を見て、皇丞の言葉を思い出した。

『初めて会った頃の只野姫って、普通にキレーなおねーさんだったはずなんだけどな。まだ、結婚前だな。最初の旦那の趣味に染まっちまったのかね』

「いつもと装いが違うので驚きました。どんな服も髪型もお似合いですね」

「ありがとうございます。ギャップ萌え、というものを狙ってみました」

「……ソウデスカ」



 ギャップ萌え、ね……。



「お待たせいたしました」とテーブルに置かれたのは、ホットコーヒー。

 席についてから、メニューも渡されずにいたことが不思議だったが、彼女が既にオーダーしていたのだ。

 ワインでもシャンパンでもなく、コーヒーを。

 ウェイターは、やはりメニューなどを置かずに立ち去る。

 姫がコーヒーにミルクを三滴だけ垂らした。

「そういえば、昨日――」

「――昨日は申し訳ございません。金曜の夜に会いたいなんて熱いお気持ちにお応えできず、申し訳なさに涙が――」

「――中央病院の近くでお見かけした気がしたのですが、どこかお身体が不調なのですか?」

「……っ!」

 姫の顔色が変わる。

 いつもより薄い化粧のせいか、焦っているのがよく見える。

「お見舞いに……行ったのです」

「そうですか。入院されていらっしゃる方には申し訳ありませんが、姫さんが受診されたのではなくて、良かったです」

「ええ。私は健康そのものですわ」

 姫が瞬き多めに微笑む。

「一晩中でも理人さんと愛を――」

「――入院されていらっしゃる方とは親しいので?」

「……」

 姫の笑顔が固まる。

 なるほど。

 やはり、俺と会うより大事な人間。

 恐らく、登を盗聴している理由にも絡んでいるだろう。

 俺はテーブルに肘を立て、顔の前で両手を組んで、にこりと笑った。 

「失礼。踏み込みすぎましたね」

「よろしくてよ。入院しているのはかつての義弟ですわ。最初の夫の、年の離れた弟です。入院していると人伝に聞きまして、お見舞いに参りました」



 義弟……。

 最初の夫は確か――。


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