偽装溺愛 ~社長秘書の誤算~
6.彼女の過去


「実家は遠方か?」

 俺の問いはそれほどおかしなことだろうか。

 りとが開けた口を閉じた。

 セックスの後、しばらくベッドで抱き合っていたが、昼飯がまだだったと思い出した。

 りとがシャワーを浴びている間、玄関に放ったままの買い物袋の中身を冷蔵庫に入れ、コーヒーを淹れた。

 俺一人なら買ってきたパンで済ませるところだが、ピザをデリバリーした。

 昼時から少し遅いこともあって、そうかからずに届いた。

 二人掛けのダイニングテーブルに二人座っているのは、テーブルを買ってから初めてのことだった。

 その上、正面に座る彼女は俺のTシャツを着ている。

 これもまた、俺には初めてのことだった。

「実家はもうないの」

「え?」

 りとがピザを嚙み切ると、チーズがのびた。

 ピザを頼むかと言うと、彼女は子供みたいに目を輝かせた。

 まだ二歳の力登とは、ピザを食べたことがないらしい。

 彼女に選ばせると、クワトロフォルマッジとシーフードが届いた。

 クワトロフォルマッジにはたっぷりの蜂蜜をかけている。

「というか、最初から実家と呼べる場所はなくて」

 俺はサイドメニューのポテトを口に入れた。

「私が子供の頃に両親は離婚して、私は母と暮らしていたんだけど、二十八の時に亡くなったの」

「そうか」

「室長は? ご両親は健在?」

「……」

「室長?」

「……」

 コーヒーを飲みながら、視線を彼女に向ける。

 わずかに首を傾げた、というよりも返事をしない俺の様子を窺って顔を覗き込んだりとが、ふっと笑った。

「理人さんのご両親はお元気ですか?」

 呆れられている。

 なのに、呆れ顔がやけに幼く見えて、可愛いと思える。

「さん、も敬語もいらない」

「ですが、職場でうっかり――」

「――ベッドの上でだけってのも、いいけどな」

「食事中になんてこと言うんですか!」

 コーヒーを吹き出さないように飲み込み、くくくっと肩を揺らして笑う。

 この間から、こうして笑うことが多い。

 りとと力登と一緒にいる時に限ってだが。

「りきに、しっちょさん、て呼ばせますよ」

「やめてくれ」

 そうは言ったが、力登があの屈託のない笑顔で『しっちょさん!』と呼ぶのを想像すると、思わずぶはっと吹き出してしまった。

「このマンション、登さんのご両親が用意してくださったんです」

 りとが、サラダを突きながら言った。

「え?」

「離婚を決めた時、頼れる人もお金もなくて」

 スーパーで買って来たパック入りのサラダを二人で分けた。

 たいした量じゃない。

「二人はきみの話を信じたのか?」

「え?」

「息子が孫を手に掛けたと」

「……ええ。日頃から、力登を煩わしそうにしていたのは知っていましたし。さすがに、苛立って咄嗟にそうしてしまっただけで、殺意なんかはなかっただろうとは、言われましたけど」

 そういう問題じゃない。

 たった一度のミスが、子供には命取りだ。

 うつ伏せになったまま窒息したり、吐き出した母乳で溺れたたり、ベッドから落ちたり。

 殺意はなかったから許されることじゃない。
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