偽装溺愛 ~社長秘書の誤算~

「――連絡先、知らないよな。俺たち」

「え?」

 目を覆っていた彼の手が離れていき、私は目を開けた。

 背中に感じていた理人のぬくもりが消え、振り向く。

 彼は、キッチンに回った。 

「ペットショップに行った時、力登にアレルギーがないか聞こうと思ったんだけど、そういや連絡先を知らないなと思って」

「そう……ね」

 理人がコーヒーマシンの電源を入れ、私にホットがいいかアイスがいいかを聞いた。

 私はホットで頼み、ケーキの箱を紙袋から取り出す。

 話を逸らされた。

 理人が何を言いかけてやめたのか、気にはなったが聞かなかった。

 コーヒーの香りが漂う中、私は食器を出す彼の背中を見つめていた。

 不安が的中した。

 こうなる気がしたから、近づきたくなかった。

 男に現を抜かしては、いられない。

「ママ! なに~?」

 息子の声に振り向く。

 テレビの前で身体の向きを変えたかと思うと、立ち上がらずにハイハイして寄ってくる。

 私はクスリと笑い、彼を迎えに行った。

「りき、歩けなくなっちゃったの?」

「いえいえ!」

 その場で座った力登が、両手を上げる。

 腰を掴んで抱き上げると、胸に頭をぺたりとくっつけてきた。

「赤ちゃんみたいだな、力登」

 お皿を持った理人が言った。

 否定するかと思ったら、力登は親指を咥えた。

 赤ん坊の時でも、指しゃぶりをしなかったのに。

「赤ちゃんはケーキ食べられないなぁ」

「けーき?」

「そう」

 甘い匂いを嗅ぎつけた力登が、口から指を離して、箱を覗き込む。

「いっこだ!」

「そ。でも、赤ちゃんは食べられないの」

「りき、にーちゃ!」

「現金な奴だな」

 理人がくくくっと笑う。

「用意するから、座ってて?」

「おう!」

 下ろすと、一目散にテレビの前に戻っていく。

「力登、ケーキ好きなんだな。ま、子供はみんなそうか」

「食べるの、初めてなんです」

「え?」

 私は理人からお皿を受け取り、くまさんショートをのせる。

「あんまり小さいうちから甘いものを食べさせるのは良くないって、なにかで見て。でも、もう二歳も過ぎたし、いいかなと思って」

「アレルギーはないんだろ?」

「うん」

「味を占めたら大変だな」

「確かに」

 互いの顔を見合わせてクスクスと笑い合う私たちは、他人からしたらきっと仲のいい恋人か夫婦なのだろう。

 当事者の私だって、錯覚しそうだ。

「残りは冷蔵庫に入れとくか」

「え? あ、うん。理人は? ブランデーのでいいの? 他にもあるよ」

 コーヒーのカップをカウンターに置いて、理人が箱を覗き込む。

「りとは?」

「私は何でも食べられるから、先に――」

「――お前が一番好きなケーキは?」



 一番好きなケーキ……。



 私はじっと箱の中を見つめる。
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