薬術の魔女の結婚事情

春を呑む


 薬が切れて、身体の痛みが振り返した。

『ぐ、』

 痛みに心臓が早鐘を打ち、呼吸が浅くなる。
 思考が、解けていく。

『(嗚呼、痛い。辛い)』

身体を蝕む『穢れ』が、魔術師の男を呑み込もうとするのだ。
 あの時、春の神が告げた『身体を貰う』という言葉の通りに、体内に残ったそれは次こそは奪えるようにと、蠢いていた。
 『熱』の正体通り、身体を内から焼いて溶かそうとする。

『あ゛ァ……熱い』

 春の煩わしい温度で、身が焼け(ただ)れてしまいそうだ。

『熱いが……(ただ)()れだけだ』

熱い息を吐き、深く息を吸った。

(ただ)()()()()()()()()()()()

 彼女と話してから随分と体が楽になり、思いの外冷静に自身の現状を確認できる。
 それに身体を蝕む痛みなど、常日頃から自身()を抑え込んでいる呪いと比べれば大した事もない。

『(……(しか)し。あの娘が……斯様な私を、受け入れて下さるとは)』

 少し痛みから逃れるように、先程の会話を思い出していた。
 随分とみっともない姿を晒してしまったのに、「構わない」と、言ってくれた。誰もが目を逸らし憐れみ蔑んだ姿を、真っ直ぐに見詰め、嫌うどころか認めてくれるなど。

『…………()()()

呟き、熱に浮かされたその身で、更に赤面する。冷え切っていたはずの心臓の辺りに、染み入るような熱と痛みを感じた。それは、不快ではない、心地良い熱と痛みだ。

『(矢張(やは)り、“好き”だったのか)』

 その心地良い熱と痛みに、落ちた、と自覚した。既にそうであった事をようやく受け入れられた、というのが正しいかもしれないが。()()()()()()()()()()()()()時点で、そうなるしかなかったのだろう。

『((これ)が、”好意“)』

 好意など、ただ煩わしいだけのものだと思っていた。同じ熱と痛みを持っているのに、身体を蝕むそれとどうしてこうも違うのだろうか。

『((いや)に、思考が冴える)』

 今ならば、煩わしいその温度をも、受け入れられる気がした。

 熱い身体で深く息を吸い、気を落ち着かせる。そして、魂の所在を確認した。

『(彼女が、私に魔力を染み込ませた()れと同様に)』

 自身に、喰い千切ったその力を染み込ませるのだ。
 魔術師の男は体内に入った強い力(穢れ)を、自身のものにしようと考えた。
 外部から入った力を取り込もうなど、まともな頭の持ち主ならば通常は選ばない方法だ。外部の力を受け入れてしまえば、魂の形が歪められて別物になってしまうのだから。
 だが、魔術師の男は既に精霊と呪いとで、まともな魂の形をしていなかった。つまり、普通の人間よりも無理と融通が利く。それに、今更『(穢れ)』が混ざったところで同じ事だ。
 魔術師の男は自身の中に意識を集中させ、混ぜる作業を始めた。

『……ぐ』

 酷く、気分が悪くなる。それは自身の魂の形(在り方)を変えるのだから当然のことだ。暑さからではなく痛み由来の、(いや)な汗が濁った魔力と共に溢れる。
 それでも、穢れに蝕まれている現状から抜け出すためにも、部屋の外に出るためにも、混ぜる必要があった。

『は、ぁ』

 魔術師の男は、詰めていた息をゆっくりと吐き出す。
 突然に全てを混ぜるのではなく、少しずつこちら側に染めてから自身と混ぜ合わせる。
 まずは、自身の中で『(穢れ)』に近い精霊(猫魈)の箇所に、呪いで少しずつ歪めて馴染ませ、混ぜる。
 あとは、混ざったそれらを、自身の魂が受け入れるだけだ。

 それは『人』で在りたかったその感情を捨て、自身が本当に、人間でなくなることを認めると同義だった。
 嫌いな自身を、受け入れる。

『ぅぐ、……』

 様々な感情が沸き起こり、頭を掻きむしりたくなる。
 恨み、妬み、悲しみ、怒り、憎しみ。その感情を認めて、飲み込んだ。
 辛くて、意味を成さない呻き声が喉の奥から漏れた。
 しかし。自身が好意を向ける彼女のためならばできるはずだと言い聞かせた。
 彼女を手に入れるための過程なのだから。
 あの娘は、自身を『好き』だと告げ、認めてくれた。
 そんな貴重な存在を逃したくは無い。

『(絶対に……決して、逃す訳にはいかぬ)』

 本当に、この感情が好意を所以とするものかと問われたならば、少し疑問は残るだろう。だが、それでもこの感情は自身が救われる唯一の希望のような気がしていた。
 だから、(すが)る。
 仮に彼女が抱く『好き』という感情が本物の恋慕でもただの慈悲でも、構わなかった。
 兎に角手を伸ばして、掴み取りたかった。

「……ふ、」

 小さく息を吐き、魔術師の男はゆっくりと目を開く。
 床に広がっていた髪が普段の長さに戻り、身体から魔力が漏れ出る不快な感覚がなくなった。

 ようやく、体の痛みが治まった。

 だが、一抹の不安がある。
 それは、彼女が親無しであることだ。
 親無しという、いつ消えるかも分からない不安定な存在に身を委ねられるほど軽い性格はしていない。

「(……嗚呼、そうだ)」

 思考を巡らせ、魔術師の男は口元を歪めた。

「(私以外と『結婚する気はない』と仰っていましたね)」

 それならば、遠慮も不要だろう。

「(彼女に、呪いを掛けましょう)」

 自身と、彼女を繋ぐ呪いを。
 縁を結び、絡ませて逃がさないために。

 上部でも嘘でも、その『好き』の感情を利用しない手はない。
 そうと決まれば、と魔術師の男は薬術の魔女が放り出した魔力の残滓を掻き集める。
 そして、丁度、自身の魔力と穢れも混ざっているそれを、魔力の酒に作り替えた。

「……()ずは、(これ)で」

 魔術師の男は薄く微笑み、春の匂いのするそれを呑み込んだ。
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