薬術の魔女の結婚事情

治療。


 ともかく、婚約者の魔術師の男が今すぐに帰られる状況でないことは理解した。だからしばらくの間は屋敷に上がっても彼の姿を見ることはできない。
 それはよく分かっていたものの、薬術の魔女は足(しげ)く屋敷に通い地下の書庫へ降りて本を読んだ。

「あ、飲み物用意されてる」

 木の札で屋敷の部屋へと移動し廊下に出ると、まずは式神に出迎えられる。姿が見えないものと姿が見えるものがいるようで、出迎えてくれるのは顔を札で隠した人のようなものだ。服を着ているのだが、ちらちらと服の裾から見える手足や札で隠れていない部分が獣だったり鳥や爬虫類だったりと、色々な種類がいるようだった。
 式神達は甲斐甲斐しく世話を焼いてくれ、薬術の魔女を出迎えるとお茶やお菓子の用意があると知らせてくれる。喋りはしないが動作で示してくれ、なんとなく分かるのだ。
 それを薬術の魔女は書庫の読書用のスペースの近くに持ち寄り、読書の休憩時に口に入れた。汚れた手を綺麗にできるように手を拭くものや簡易的な浄化装置もある。

 屋敷の内部は人の気配はしないものの、常に式神により清潔に保たれていて居心地が良かった。
 そう感じられるほどに、意外と屋敷に馴染んでいるようだが薬術の魔女当人はまだ気付いていない。屋敷の書庫が、魔術アカデミーの寮の自室並に落ち着ける場所へとなっていた。

×

 とある日。

 薬術の魔女が屋敷の書庫で本を読んでいると、

「……ん?」

何か、懐かしい気配を感じた。そっと本を置き、屋敷へ続く階段を上る。
 階段を登る間に、そわそわとした高揚感を知らずに抱いた。人の訪れない屋敷に人の気配が現れたということはつまり。
 その期待感があった。

 玄関の方へ出向いてみると、外套を脱いでいる魔術師の男が居た。ようやく、彼は仕事場から帰ってきたらしい。

「ん、帰ってきたんだね。おかえりー」

 その後ろ姿へ、薬術の魔女は声をかける。言葉の端々にやや嬉しそうな色が滲んでいたのだが気付くものはいなかった。

「……っ、態々(わざわざ)……此方(こちら)(まで)いらしたのですね」

 一瞬、驚いた様子で少し目を見開いたものの、振り返った魔術師の男はいつも通りに微笑んだ。

 実のところ異常はほとんど治っていないのだが、城にいても何も変わらないと悟った魔術師の男が無理を言って出てきたのだった。
 今だって頭痛は酷いし、視界はぼやけている。おまけに身体は熱いし、気を抜くと血の混ざる咳が出る。

「……貴女は書庫に戻られても大丈夫です。私は、少しすべき事があるので」

 苦しいが平常のように振る舞った。そして彼は薬術の魔女に怪しまれる前に、自室の書斎へ向かおうとする。

「ねぇ」

 服が引かれる感覚に魔術師の男が振り返ると、薬術の魔女が静かな目で見上げていた。

「ちょっと、かがんでくれる?」

「…………何です」

なぜかその目に素直に従い、彼は片膝を床に突き(かが)んだ。身長差の関係で、魔術師の男の目線は彼女の胸部付近にまで下がる。

「ちょっとごめんねー」

何をするのかと訊く間もなく、そのまま薬術の魔女は彼の頭を抱きしめた。柔らかい感触が顔に当たる。

「な、」
「んー、『抽出』するだけだから。すぐ終わるよ」

固まる魔術師の男に構わず、彼女は気さくな様子で抱えた彼の頭を撫でる。
 途端に温かいものが染み込み、それが痛みを与える何かと混ざり、抜き取られていくような感覚がした。

「とれた。もう大丈夫だよ」

 しばらくして、薬術の魔女は彼に声をかけた。先程の言葉の通り、自身の魔力とともに何かを抽出したらしい。

「うえー、なに? この気持ち悪いの」

 眉を寄せ、彼女は桃色の舌を出した。それは彼女なりの嫌悪の顔らしい。

「……大丈夫、なのですか」

「うん、へーきへーき。えっと、確かこっちに密閉袋が」

何かを抜き出した魔力ごと、丁度持っていた密閉できる袋に詰めた。

「これね、薬草の鮮度を保つのに使うの」

袋について言及しつつ、薬術の魔女は袋を魔術師の男に渡す。

「それでこれ、なんかきみにまとわりついてた変なの。抽出したけど対処の仕方わかんない」

「……有り難う御座います」

袋を受け取りつつ、彼は自身の状態を確認していた。頭痛も視界のぼやけも無く、熱や痛みなどの『異常』はすっかり消えていた。

「ところで」

 立ち上がり袋を懐にしまう彼に、薬術の魔女は少し頬を膨らませる。

「何でしょう」

「きみ、なんか儀式で大変なことになったって聞いたんだけど」

 情報の出どころは聖女候補だろうと思いながら、魔術師の男は彼女のやや怒ったような、拗ねたような顔を見下ろす。

「……別に、問題は無かったのですよ」

 その顔が何故か直視できずに視線を逸らし、魔術師の男は答える。元々、屋敷に戻った後で魔術由来でない封印や邪気払いの手法を試し、自身でどうにか対処する予定でもあった。恐らく効果は薄かったのだろうが。

「うそつき。死にかけだったくせに」

口を尖らせ薬術の魔女は呟く。

「……ぐ、」

 隠していたつもりだったが、どうやら彼女には気付かれていたらしい。観察眼、だろうか。

「わたし聞いてないんだけど?」

「…………貴女には、関係の無い話でしょう」

どうせ、薬術の魔女と魔術師の男は書類上の婚約者なだけの相手である。だから、余計な情報を彼女に与えない方が良いと彼は判断したのだ。

「なんで教えてくれなかったのさー!」

 一応は婚約者なのだと憤慨する薬術の魔女の様子に、魔術師の男は多少は心配をかけてしまったのかも知れないと、思った。
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