白薔薇園の憂鬱
第4章

第1話

 文明の利器とはありがたいもので、ワケの分からないスウェーデン語も、ネットの翻訳機能で何とか大意くらいはとれているような気がしている。
もちろんAI翻訳だけでは何ともならないこともあるけど、そういうときは単語だけを入力していって、つなぎ合わせれば雰囲気くらいはつかめるから、やっぱりありがたい。
正しい理解を必要とする専門書とかではなく、お父さまの日記だったからこそよかったんだとも思う。

 とにかく、この手記は事件前から書き始められていて、事故当日までまだページが追いついていないのだから、頑張って読み進めていかなければどうしようもない。
そもそもお父さまはいつ灯台を封印しようと考え、その仕掛けを考案したのか。
ご本人以外知る人はいないのだ。

 私は朝起きてからずっと日記を読みふけっていて、時間を惜しむあまりそれを会社にまで持ち込んでいた。
次の週末充さんのおうちにお邪魔するまでに、何かをつかんでおきたい。
昼休みの食事を終え、人気のない廊下で一人日記を読んでいるとき、佐山CMOはやって来た。

「やあ。最近は社内PCでメッセージを送っても全く無視されてるから、生きてるのか心配になって直接見にきちゃった」

 彼はにこにこと上機嫌で横に座ると、お父さまの日記をちらりと覗き見る。

「何を読んでるの? そんな熱心に難しそうな本を読むくらいだったら、俺のメッセージだってちょっとは読んでくれてもよくない?」
「読んでますよ。開封確認つけてますよね」
「返事がない」
「開封確認してるじゃないですか。それを気にするなんて、中高生みたいですよ」

 会社業務に一切関係なく、おじいちゃんの作品情報でもないメールに、どんな興味がわくっていうんだ。

「で、何を読んでるの?」
「ヨーラン・リンドグレーンの日記です」
「……。え、ウソ。マジで? ヨーラン・リンドグレーン? なんで? あ……あの、スウェーデン出身の造形作家? なぁ、そうなのか? 本当にそうなのか!?」

 その瞬間、佐山CMOの態度が一変した。

「ヨーラン・リンドグレーン氏といえば、日本の伝統的なからくり人形に関心のある、大変な親日家で有名な作家じゃないか! そのからくり技術を自身の作品にも取り入れ……。そうだ。奥様が日本人だった! そうか、そういうことか!」

 よく分からないけど、とにかく彼は何かに納得したらしい。

「くっそ~。そのヨーラン・リンドグレーンの日記を君はどこで……。ちょ……も、もしかして、いま君が手にしているその日記は、彼の直筆の日記なのか?」

 あぁ、しまった。
うるさいのが始まった。
面倒くさいので無視していたら、その場で怒り始めた。

「三上紗和子。俺の質問に答えるんだ。それは本当にヨーラン・リンドグレーンの直筆の手記なのか?」
「あぁ。はいはい、そうですよ。ワケあって、息子さんからお借りしたんです」
「息子!? む、息子に直接会ったってことか。くっ。この俺を差し置いて、一体どういうことだ。そういう時にはちゃんとこの俺にも連絡を入れて……って、ま、まさか、リンドグレーン氏本人にも会ったのか!?」
「お父さまはご不在でした」
「なるほどそれはよかった。もしご本人にも直接会ったと言われていたら、君の頭に頭突きを入れるところだった」

 それはよかった。痛い思いをせずにすんだ。

「で、なぜそんな日記を読んでいるんだ? 君がそれほど熱心に関わるとなると、やっぱりおじいさまの作品に関わることなんだろうね」

 私は佐山CMOに経緯を説明した。
灯台の門の謎を解かないと、おじいちゃんの作品が手に入らないこと。
それは17年という間、誰の目にも触れられないまま、ひっそりと崖上に閉じられていること等々。

「なるほど。そういうことなら、なおさら俺を真っ先に頼るべきだろう。その日記を3日でいいから貸してくれないか。この俺が綺麗さっぱり、全ての謎を解き明かしてみせよう」
「は? どういうことですか?」
「解析チームを急遽編成しよう。スウェーデン語に詳しい通訳と、暗号解析のプロが必要だな。警視庁暗号解読班所属の経験者と……。そうだな、IT関連の技術者やゲーム関係者を集めてもいい。もちろんリンドグレーン氏の作品に造詣の深い俺も、チームの一員だ」

 誇らしげに胸を張るこの人を、私はぼんやりと見上げた。
そういえば、何かの本に書いてあったな。
人は空を飛ぶことは出来ないが、飛行機代を支払うことによって、空飛ぶ能力を手に入れられるって。
お金とは、その人個人が持つ能力の範囲を広げる魔法のアイテムだって。

「カネですか」
「まぁ、そういうことだね。もちろんその代金は、君に請求したりしないよ」
「あぁ、そうですか。じゃあ却下」
「きゃ、却下とはどういうことだ!」
「いつも言ってるじゃないですか、私は自分の力で解決したいんです」
「じゃあ俺はどうすればいいんだ」
「どうするって?」

 彼は何かを言いたげにもじもじし始めたけど、そんなことは気にしないでおく。

「あ、あの……。じゃあ、ちょ、ちょっとだけでいいから、その日記を見せてくれないかな」

 私は邪魔されていることに、盛大なため息をつく。
ま、そういうことだよね、この人は。
私は腕時計をちらりと見た。
もうすぐ昼休みも終わる。

「トイレに行ってくるので、その間だけならいいですよ」

 佐山CMOが素直にうなずいたのを見届け、それを渡し席を立つ。
彼は膝の上にのせた日記のページを、とても愛おしそうにめくった。
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