魔界の王子は愛をご所望です

覚醒

「……馬鹿、言わないで!」

ぐるぐると回転するだけ回転して定まらない感情が、ようやく出口を見つけた。

「シン! あんた魔王の息子でしょ、しぶとくしたたかに生きなくてどうするの! 倒しても倒しても鬱陶しいほどに湧いてくるのが悪役よ。今のあんたみたいに竹を割ったように諦めがいいなんて魔王の風上にもおけない!」

ようやくシンがこちらを見た。信じられないものを見る目つきだ。その瞳に挑まれているように感じて、受けて立とうと言葉を重ねる。

「崩壊寸前だろうと魔界の王子でしょ? 身分あるものは従えるものを守らなくてどうするの!」

呆気に取られているクロとヤミを腕に抱く。すっぽり収まってしまう温もりが確かに脈打っていて、どっと胸が熱くなった。

「クロとヤミは私を助けてくれたの。最初の夜からずっとそばにいてくれた。慕ってくれた。私はこの子たちの“ゴシュジン”なの。見捨てるなんて絶対しない! 愛ってのは男と女が抱き合って乳繰り合うだけじゃなくて、誰かのために身を投げ打てる勇気のことでしょ!」

目の前がチカチカして白くなってくる。血圧が上がり過ぎなのかもしれない。
こんなにも言葉がぽんぽんと溢れ出てくるのが自分でも信じられない。一度決壊した感情の奔流は留まることができなかった。
シンが、クロとヤミが、何かを言っているけれど耳の奥でどくんどくんと鼓動がうるさくて聞こえない。
聞こえないのに──

「──よう言うた!」

空気が爆ぜる音がした。
朝日に弱々しく揺れていた燭台の炎が一気に力を増す。溢れんばかりの紫炎がドロリと凝って漆黒となり、部屋全体が光を駆逐せんばかりに夜へ戻っていく。
霧が。
どこまでも力強く禍々しい黒い霧。
瘴気と喩えるのが相応しいはずなのに、無意識に勝利の狼煙に見えて息を飲む。
シンがベッドから転げ落ちた。助け起こそうと駆け寄る。

「……ちちうえ」

半身を起こした魔王が私達を見下ろしていた。

「劣勢に立たされてこそ、我らが魔族の見せ所よ。土壇場上等、ドラマチックで盛り上がるわい!」

カッカッカ、と呵呵大笑したその目尻に刻まれた深い皺が恐ろしくも頼もしい。ぽかんと口を開けている私に、魔王は今までに見せたことの無い穏やかな笑顔を見せた。

「梓、ようやってくれた。亡き妻──シンの母親に勝るとも劣らん啖呵を切ったな」
「えっ、お、お母様?」

いきなり知らない人のエピソードを持ち出されて虚をつかれた私を置き去りに、魔王はころりと表情を変えて歌うようにシンを茶化す。
「そこの腑抜け、それでもワシの息子か! そんなんでは一生かかっても梓を口説けんぞ」
「ばっ……そんなんじゃねえ!」
「ふん、おおかた最期の時まで一緒にいたいだとか、消える直前に気持ちに気づくだとか、そういうベタなお涙頂戴を妄想して酔ってたんじゃろ。そんなお約束、飽き飽きするわい」
「ああ〜もう! 人の話聞けって!」

地団駄を踏む息子とおちょくって遊ぶ父親──感動の再会はハンカチ必須なのかもしれないけれど。

「あ、あの! この部屋はともかく、外はまだ白い光に囲まれてますよ。どうするんです──」

言い切る前に耳元で何かが弾け飛ぶ音がした。咄嗟のことに辺りを見渡すこともできず固まっていると、視界がどんどん傾いていく。
自分の平衡感覚がおかしくなったのかと思いきや、部屋が──否、城が崩れているのだ。
取り囲む光の圧に耐えきれず窓ガラスが割れている。
ブラックホールに吸い込まれるように燭台が窓の外に放り出されたのを目の当たりにして背骨が掴まれたような恐怖感に身を竦めたのも束の間、私自身も部屋の傾きに合わせて窓に投げ出されそうになる。

「うそっ、や、いやあっ」
「梓っ!?」

伸ばされたシンの手が上手く掴めない。
ぶわ、と体が浮きかけた時──

「ゴシュジン!」
「アブナイ!」

私の背中に回り込んだクロが体当たりしてシンの方に突き飛ばす。
ヤミは窓の外に飛び出して大きく翼を広げた。

「ゴシュジン、マモル!」
「シロ、マモル!」

くりくりとした黒い瞳が紫に燃える。
シンに抱き止められた腕の中で見たのは、二匹の小さな体躯を核として膨張した炎の翼だった。
滑り落ちるサイドテーブルが、燭台が、クロの翼に堰き止められる。
傾いていくばかりの視界が平行に戻されて、がくんと一度大きく揺れた。
窓の外でヤミの翼が外壁を支えて滑落を食い止めてくれたのだ。

「クロ、ヤミ!」

手を伸ばせばクロとヤミはたちまち私に飛びついてくる。先程の揺らめく炎は見る影もなかった。

「ゴシュジン、ホメテ!」
「ヤレバデキル!」
「す、すごいよ! あんなことできたんだね、えらい……!」

飛んでは食べてばかりを繰り返していた二匹にこんな力があるなんて。
嬉しさのあまり固く抱きしめて撫でていると、シンが「このくらい使い魔なんだから当然だろ」と呆れ気味に水を差してきた。

「まあそう言うな。主人たる梓の想いに応えた結果であろう。どうやら愛の力というやつは、まこと劣勢を跳ね返す堅牢な盾であることよ」

したり顔の魔王が砕けた窓ガラスに指を向ければ、たちまち床の破片が形を成して再び窓枠に嵌っていく。
しかし直す傍から周囲の白い光の球が城全体を押し潰さんばかりに迫ってくるのだ。闇に覆われた中だからこそ僅かな光が亀裂となって襲いかかってくるようで、気の休まる暇がない。
片手で私を抱きしめたシンが四方に炎を巡らせる。
すべて無に帰す白が紫炎に牙を剥く。
黒い霧が光を押し戻す。
息の詰まる一進一退の攻防の最中、真上から白い矢の雨が降り注ぎ黒の防御が崩れた。
押し流すような光の束が穴の空いた天井から私たちを狙い撃ちにしてくる。

「ふんッ!」

魔王の黒い霧が天井を覆って光の束を押し返す。しかし病み上がりと言ってもいい体だ。真下からの突き上げるような激しい気配にまで割ける余力は無いようだ。
クロとヤミも炎を床に広げるが猛攻はおさまる気配がない。

「シン、下が!」
「わかってるよ! クソ、どうすれば……」

ずどん、と脈打った床が割れる。勢い良く突き飛ばされると、私たちが居たところから光の槍が突き出てシンの脇腹を抉った。
かは、と声にならない呻きが血と共にシンの口を伝う。

「シン!」
「くっ……そ、やってくれたなァッ!!」

ぶわりと長い前髪が舞い上がる。血の色に沸いた瞳の奥で喩えようのない激情が咆哮した。
目の前がぐらぐら揺れる。
城が崩れているからなのか、それともシンの激情にあてられているからなのか。
わからないまま、なんとかシンに近づこうと床を這う。
伸ばした手を掴まれて顔を上げる。シンがまっすぐ私を見つめていた。

炎が燃え盛るあかいひとみ。
血に濡れたあかいくちびる。

魅入られたようにゆっくりと彼の頬に手を添える。視界の端でアミュレットが揺れた。
クロとヤミの声が聞こえる。
最初に教わったアミュレットの使い方。

「──シン」

祈りを込めて名前を呼ぶ。
頷いたシンが顔を近づける。
私たちの距離が埋まる直前、シンの唇が吐息で私の名前を呼んだ。

「────…………梓」

血の味が、口の中に広がった。
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