魔界の王子は愛をご所望です

使い魔

「ひとまず今日は俺も疲れた。お前も好きな部屋で休め」
「好きな部屋と言われましても……まず何処に行けばいいんですか」

追い出す仕草を見せた彼に問えば、面倒くさそうに手を叩いた。音ではない何かが空気を揺らした気がして辺りを見渡せば、天井から黒い塊が蠢きながら降ってきた。塊ではない──コウモリだ!

「きゃああっ」

悲鳴を上げてうずくまる。

「騒ぐな。俺の使い魔だ」

やれやれと呆れる彼がよく分からない言葉でコウモリと会話している。頭上の重たい空気がごわりと動いて、恐る恐る顔を上げた。
まだ二匹だけが輪になって私の上を飛んでいる。

「これをお前につける。比較的気性は穏やかな奴らだ」
「つける……って」
「道案内でも伝言でも好きに使え」

そう言うと彼は私に背を向けた。
すたすた歩いて行かれて途端に心細くなる。

「待って、どこに」
「父上をここに置いておくわけにいかない」

彼が手をかざすと玉座が紫の歪みで覆われる。
「ね、ねえ! 貴方、名前はっ」

置き去りにされるのが怖くて、なんでも良いから話を続けようと咄嗟に名前を聞いた。
私の不安を知ってか知らずか、彼はゆっくり振り向いた。紫色の前髪から覗く血の色の瞳が静かに光る。

「シン」
「シン……?」

呼び返した声がか細くて彼には聞こえなかったのかもしれない。少し訝しげに首を傾げたシンは、私に向かって軽く顎を上げた。
私の名前を問われているのだと気づき、口を開く。
果たして名前を教えてもいいものかと冷静な自分も頭の隅には居たが、不安には勝てなかった。

「あ……梓」
「梓」

オウム返しに名を呼ばれ、ようやく視線が交差する。
シンはそれでも私から目を逸らして玉座に向き直った。歪みが低く唸って風が起きる。
それが鎮まった時、魔王も彼も姿を消していた。

「行っちゃった」

ひとりごとが石造りの壁に反響してぎょっとする。本当にひとりぼっちになってしまった。
ぎゅ、と自分の腕を抱きしめる。

「キィ」
「ひえっ」

見ればコウモリに覗き込まれていた。しかし危害を加えてくる様子では無さそうだ。本物と違って、どこか親しみやすい顔立ちをしている気がする。本物のコウモリをまじまじと見たこともないのだけれど。

「……私が泊まれそうな部屋に案内してくれる?」
「キィ!」
「ギーッ」

使い魔というのは本当らしい。
有難いことに、彼が話していた訳の分からない言葉でなくても意思の疎通はできるようだ。
導くように飛び始めた一匹を追って歩き出せば、隣でもう一匹が寄り添ってくる。はぐれないようにしてくれているのだろうか。
魔界が崩壊寸前というのも本当らしい。部下らしきものがひとりもいない暗がりの中、所々に穴の空いた階段を更にぶち抜いて宙ぶらりんになりつつ、剥がれ落ちた壁紙に足を滑らせ、掴んだ手すりを引っこ抜いて尻餅をついた。
これで怪我なく部屋にたどり着けたのは、私の悪運が強かったのだろうか。

「まずは愛うんぬんじゃなくて住環境の改善じゃないの……?」

毒づきながらドアを開けた先は、意外とこざっぱりしていた。埃っぽくもない。掃除がされているようだ。
広い居間を横切って垂れ下がったカーテンを開ける。窓の向こうが真っ暗なのは夜だからか、それともここが魔界だからか。

「今から部屋の中を確認するから、変なものとか触っちゃいけないものがあったら教えてね」
「キッ」
「ギュッ」

コウモリ二匹を引き連れ部屋を探る。施錠もできるし変な仕掛けはないようだ。
お手洗いと洗面は大丈夫そうだがお湯が出ない。お風呂はどうしようか。
ううんと頭を悩ませつつ寝室へ入る。木目が人の顔に見えて怖いクローゼットは空だった。古びた鏡台は怖くて鏡を開けられない。
恐る恐る座ったベッドは意外とふかふかしていた。なんだこの城。補修が行き届いているところとそうでないところの差があり過ぎる。
そのままぽすんと横になる。ぐらりと疲労がのしかかってきた。キィキィとコウモリが鳴いている。疲れすぎた体はうまく起き上がれなかった。
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