この想い、21時になったら伝える

19. 幸せな日々


 
 ◇◇◇

 
 週末の土曜日。
 今年のクリスマスは、ゆっくり家で過ごそうという五十嵐の提案で、仕事を終えた五十嵐と梛七は、患者の目や、スタッフの目を気にして、少し遠くにあるショッピングモールで、夕食の調達をしていた。
 
 「梛七、何食う?」
 
 「ん〜、どうします?鍋でもしますか?」
 
 「そうすっか。あ、ケーキは家にあるから」
 
 「えっ?本当ですか?」
 
 「ケーキだけはちゃんと用意した…」
 
 買い物かごを持ちながら、五十嵐は少し照れくさそに言う。
 梛七は、五十嵐のそういうところが好きだった。
 寄せ鍋にしようと、梛七と五十嵐はそれぞれ入れたいものを、かごに入れていく。長蛇の列に並び、レジを済ませて、二人は五十嵐の家へ向かった。
  
 車から降りた梛七は五十嵐の後をついていく。
 
 「鍵の番号、変えたから。101023な。最後の二桁は付き合った日付。俺と梛七しか分かんねーようにした」
 
 五十嵐はしれっとオートロックを開け、スタスタとエントランスを歩いていった。梛七は照れながら、二人だけの特別なものが増えていく喜びを、そっと噛み締めた。
 
 
 梛七と五十嵐は、キッチンに並び、鍋の準備を始める。四人前ほどの土鍋の中に、梛七が切っていった野菜を五十嵐が入れていく。
 
 「上手いな、切るの」
 
 「小さい頃から、料理するの好きだったので。切り方も、母に色々教えてもらいました」
 
 「へぇ〜。俺こんな風に切れねーよ」
 
 五十嵐は、梛七が作っていた人参の飾り切りを手に取って、上にかざしたりしながら眺めていた。
 
 「はい!火にかけるので、それも入れてください」
 
 「あぁ。はい」
 
 梛七は、鍋を火にかけ、キッチンの向かいにあるテーブルの椅子で、一息ついた。
 
 鍋の蓋がカタカタと音を鳴らし、美味しそうな鍋が完成する。梛七は五十嵐の分をよそい、はいどうぞ、と言って五十嵐に渡した。そんな小さなやり取りすら、尊いと感じてしまうのは何故だろう。五十嵐と梛七は、時折笑いながら、自分たちで作った食事を楽しんだ。
 
 
 「俺、先に風呂入ってくるから、ゆっくりしてろ」
 
 「はいっ。私、これ片付けておきます」
 
 梛七は、五十嵐が風呂に入っている間、食事の後片付けを始める。手探りでしまう場所を探りながら、何とか綺麗に仕舞い終えた。
 
 (ちゃんと綺麗にされてるんだなぁ…)
 
 梛七は、綺麗好きな五十嵐の整頓具合に感心していた。
 
 五十嵐がバスタオルで頭を拭きながらリビングに戻ってくる。パーマのかかった髪が程よく濡れていて、いつもとは違う色気を感じた。
 
 「梛七も入ってこい」
 
 「は、はいっ。お風呂お借りします」
 
 五十嵐に見惚れていた梛七は、はっ、と正気に戻り着替えを持って洗面所に向かう。綺麗な洗面所に、梛七の分のタオルや歯ブラシが、用意されてあった。
 
 梛七は髪や身体を洗い、保温されていた湯船に浸かる。
 
 (今日は、先生と一緒に寝るんだよね…この後、そういうことも…)
 
 男女の営みとやらを想像してしまった梛七は、恥ずかしさのあまり湯船に顔を沈めた。梢子から、「ちゃんとした下着、持っていかなきゃダメだよ!」と念を押され、梛七はネットで新調した下着を持ってきていた。
 梛七は風呂を出て、その下着に着替える。
 バスタオルで頭を巻き上げ、五十嵐のいるリビングへ戻った。
 
 「お、お風呂、ありがとうございます。栓、抜いておきました」
 
 「あぁ、ありがとう。髪乾かしてやる、こっちこい」
 
 五十嵐に言われるがまま、梛七はソファーに座り、バスタオルを外して背を向けた。
 
 「パーマかけたのか?」
 
 「は、はい。先生もパーマなので私もかけちゃいました」
 
 「そうか、可愛いじゃん…」
 
 梛七が、頬を赤らめていることは五十嵐は知らない。五十嵐は、乾かし方を知っているのか、クルクルと手を動かしながら丁寧に乾かしていく。梛七は、五十嵐の触れる大きな手に、温もりを感じていた。
 
 
 しばらく、五十嵐と梛七はL字のソファーに座って、テレビを観たりして寛いだ。
 梛七のところに、五十嵐は水の入ったグラスを二つ持ってくる。梛七の隣にどすっと座り、五十嵐が口を開いた。
 
 「あの同級生の男とは、何もなかったのか?」
 
 「同級生?あ、翔太のことですか?あ…えーっと、実は…つい最近、告白されました…。一緒に中国に来てくれないかって。でも…私はずっと先生のことが好きだったし…先生以外の人と将来を考えるなんてことは…できなくて…。なので、きっぱり断りました」
 
 「…そうか。そいつ、梛七の入院中に俺んとこ来て『梛七を守りたいんで、変なことしないでくれ』って言って帰っていったんだよ」
 
 「翔太がそんなことを…。なんか、すみません…」
 
 「いや、そいつのお陰で天宮だと分かったし、俺は自分の気持ちに気づいたんだ…。ま、気づかないようにしてただけかもしんねーけど…。そいつじゃなくて、俺で良かったのか?」
 
 「せ、先生がいいんです!私は、先生じゃなきゃ…」

 五十嵐は、隣にいた梛七に軽く口付けをした。
 
 「ありがと…俺を選んでくれて」
 
 「先生…」
 
 五十嵐はゆっくり梛七をソファーに押し倒す。
 
 「なぁ…。今は俺と梛七しかいねーんだ。いつになったら普通に話してくれんだよ」
 
 「う、うん…」
 
 「それに、あいつのことは名前で呼ぶのに、俺のことは呼んでくれねーの?」
 
 押し倒された梛七は、目の前に映る五十嵐の顔を見つめる。五十嵐は、梛七の目を見ながら、か細い声で言う。
 
 「名前…呼んでくれねーか…」
 
 「す…、…傑、さん…」
 
 「傑でいい」
 
 「傑…」
 
 梛七は顔を真っ赤に染める。
 梛七の耳元で、酔ってんのか…?、と甘い声で囁いた五十嵐は、梛七の閉じた唇と確かめ合うように、離したり近づけたりしながら口づけを繰り返した。時間を忘れてしまうほど、優しくて、甘い感触が、梛七をとろけさせてゆく。五十嵐の唇が離れた瞬間、小さなリップ音が鳴った。
 
 梛七は恥ずかしさのあまり、両手で顔を覆う。
 五十嵐は「何照れてんだよ」と微笑みながら、梛七を横抱きした。
 
 「ひゃぁ…」
 
 「ここじゃ狭いし、差し障るだろ…」
 
 梛七は、五十嵐の首に腕を回して、しがみつく。
 五十嵐は、梛七を抱ながらリビングの照明を落とし、寝室へ向かった。
 
 
 梛七はゆっくりベッドに降ろされ、五十嵐は上半身に着ていた服を勢いよく脱いで、梛七の上に覆い被さる。五十嵐の鍛え抜かれた逆三角形の上半身が見え、梛七の心臓がドクンと飛び跳ねた。
 
 「まだ寝かせねーよ…」
 
 梛七はコクっと頷き、五十嵐の端正な顔を見つめる。吐息と共に落ちてくる唇の感触は、さっきよりも柔らかく、熱を帯びていた。今までにないぐらいの、長くて、深い口づけに、全身の力が抜けていく。
 五十嵐の手が、梛七の身体を甘やかに溶かしていき、二人は時間をかけて、何度も絡み合った。
 
 
 身も心も全て五十嵐に委ねた梛七は、五十嵐の腕の中に裸のまま身を寄せていた。
 
 「傑は、いつから私のこと好きになってくれたの?」
 
 「俺?そうだな…確信したのは最近だけど、多分もっと前から好きだったんだろーな…。梛七は?」
 
 「私は、傑に教えてもらい始めた頃から。だから…五年ぐらい、片想いしてた」
 
 「は?五年も?どんなけ一途なんだよ…。じゃ、その五年分も含めて、幸せにしねーとな…」
 
 五十嵐は、梛七をぎゅっと胸に抱き寄せ、梛七の頭を撫でた。
 
 「ねぇ傑…。ケーキ食べるの忘れちゃったね…」
 
 「あっ。そうだった…。今から食う?」
 
 「こんな時間から食べちゃう?」
 
 「今日ぐらい、いいんじゃね?」
 
 五十嵐と梛七は、笑いながら服を着て、手を繋ぎながらリビングへ向かった。
 
 
 ◇◇◇
 
 
 今年最後の出勤日。
 怒涛の日々をスタッフ全員で乗り切った達成感は、この上ない充足で満ち溢れていた。
 毎年、この日は五十嵐からボーナスとは別で、全員に「お年玉」という名の寸志が貰える。一人ずつ名前を呼ばれ、手渡しで貰う恒例行事だ。
 
 「はい、橋口。お疲れさま。今年一年、よく頑張った。また来年も頼むな」
 
 「はいっ!ありがとうございます!来年も脇田さんに、色々教えてもらいながら頑張ります!」
 
 次々と助手たちの名前が呼ばれる。
 梛七は、助手たちの嬉しそうな姿を見ながら、うん、うん、と頷いていた。
 
 「はい、最後。脇田。色々ありがとうな。来年も、皆んなを引っ張ってってくれ。お疲れさま」
 
 「はい。ありがとうございます」
 
 受け取った封筒は、いつもより厚みを増していた。
 
 「じゃ、皆んな。今年も一年、本当にありがとう。一人も欠けることなく、無事今日を迎えれたのも、ここにいる皆んなのおかげだ。来年は、伊東先生が常勤になる。俺も、矯正に力入れていきたいと思うから、それぞれしっかり成長するように」
 
 『はいっ』
 
 スタッフたちの揃う返事が、力強く結束力を高めた。
 五十嵐は、人をまとめる力がある。それぞれの立ち位置をしっかり把握し、序列を生み、バトンを渡すかのように人を成長させる。
 そんな五十嵐と、これからも共に歩んでいきたいと梛七は五十嵐の横顔を見ながら思った。
 
 (先生に出会えて、本当によかった…。ありがとう…、傑…)
 
 これまでの人生に、一旦終止符を打ち、梛七と五十嵐の人生は、また新たにスタートしていくのだった。
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