長嶺さん、大丈夫ですか?
「花樫さん」


 突然呼ばれてビクッと肩が跳ねた。


「っ、はい」

「今から俺の彼女ってことでいい?」


 そう普通のテンションで言った長嶺さんは、まっすぐ前方を見て運転している。


「…………はい」


 恥かしすぎて、俯きながらか細い声で返事をすると、長嶺さんがふ、と笑う。


「今日も仕事終わったらすぐ退勤ダッシュすんの?」

「え……と」


 私が退勤ダッシュしていたのは、本気の長嶺さんに落とされるのを避けるためで。

 落とされてしまった今となっては、もうそうする必要はないのだけど。


「家に連れ帰って続きしていい?」

「……!」


 ちょうど信号が赤になって停車する。

 長嶺さんは顔を熱くさせて固まる私に視線だけ寄越して、微笑んだ。


「俺の彼女、たぶん体力的に大変だけど頑張ってね」


 ふにゃっと可愛い笑顔の上司に、ゾクッとした。


 長嶺さん、体力を使う趣味なんてあったんだ、なんて。

 そんなわけないことはわかっている。

 私の脳内の危機管理室が、異常事態警報を鳴らしている。

 それなのに私の体は少し体温を上げるだけで、逃げ出そうなんて気はさらさらない。


 そうして私は、沼の底の底のほうまで落とされてしまったのだった。




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