他人に流されやすい婚約者にはもううんざり! 私らしく幸せを見つけます

11.新しい恋

 その頃、ウェス・ジェームズは浮かれていた。長年付き合っていた恋人と別れた翌日、酒場で偶然隣に座った女性と親しくなり、その日の内に付き合うことになったのだ。

 "ウェスの慰め会"ということで独り身同盟で飲んでいたのだが、誰もが予想しなかった展開に、寂しがり屋のシルヴェスターは特に面白くなさそうな顔をしていた。

 彼女の名前はベス・クラム。肩口で切り揃えた栗色の髪に、大きなカチューシャ。ころころと鈴が鳴るような笑い声、ぱっちりとした目。五つも年下というだけあって、とにかく元気がいい。はつらつとしている。
 それに、彼女がふわっと顔を寄せると、甘くて美味しそうなバニラの香りがする。

「楽しみだわ、パーティーなんて」

 母はクロエと別れたことを知るととても残念そうにしていたのだが、ウェスに新しい恋人が出来たことを知ると"でかした"とばかりにパーティーの手伝いへ誘うように言った。
 彼女はクロエと同じ男爵令嬢だ。身分も申し分ないから安心しているようだ。それに、詮索好きの領民たちに後継ぎの心配をされることを恐れているのだ。息子は恋人と別れても女性に困っていない、というのも示しておきたいのだろう。

 ベスはそんな思惑など露知らず、無邪気に楽しみにしているようだった。ただ、一つ心配なのは、彼女が"手伝い"にくるというより、"招待客の一人"のようなつもりでいること。それから、もう一つ。

「薔薇色のドレス? そんなのないわ。大丈夫、ばっちりおしゃれをしていくから」

 ーーああ、そうだ。心配なことはやっぱり"ひとつ"ばかりではない。

 ウェスは深く溜息を吐いた。新しい恋人が出来て幸せだと思ったのに。浮かれていたのも束の間だったかと不安にもなるが、新しい恋をしているのだ。少しばかりの不安も楽しまなくては。



 パーティー当日、約束の時間ちょうどに、ベス・クラムは現れた。胸元が大胆に開いた真っ黒なドレスに身を包み、頭には大きな宝石がいくつもついた華やかなカチューシャを身につけている。彼女が歩くたびに、大きく開いたスリットから白い太腿がちらちらと見える。妖艶で美しい。

 ーーだが、ジェームズ家と領民の親交を深めるパーティーだぞ……?

 いちいち言わなくても当然理解していると思ったウェスは、頭を抱えた。男爵令嬢なら少しは弁えていると思っていた、控えめで品の良い装いが好まれることを。これではまるで……。

「ウェス、どうしたの? 綺麗で見惚れちゃったかしら、貴方のために仕立てたの」

 耳元でベスはそっと囁いた。いつものバニラの甘い香りがふわっと漂う。

「ああ、綺麗だよ」

 そう言うと、ベスは嬉しそうに笑った。あっちで飲み物を取ってくる、と子犬のように駆けていく。

「ウェス……まさか、あの子が新しい恋人だなんて言わないわよね?」

「母さん……ああ、そうだよ。彼女がベス・クラム」

「冗談でしょう」

 母は呆れたように呟くと、失意のせいか天を仰いだ。

「第一、あのドレスの色は何よ?」

「仕方ないだろう、薔薇色のドレスは持っていないんだって」

 母は始終不機嫌そうに彼女を眺めている。ネチネチとした嫌味が止まらない。

「そうでしょうね、ドレスの生地だってまともな大人用に足りないのだから。私の手袋の方がまだ生地の部分が多いんじゃないかしら? 彼女、いくら渡したら帰ってくれるの?」

「母さん、彼女は娼婦じゃないよ」

 聞くに堪えない言葉に、ウェスは思わず彼女を庇った。少し母に冷静になってもらいたかったのだが、どうやら逆効果だった。

「違ったの? この飲み物を皆さんに運んでもらおうと思ったのに、逆にグラスに注いでもらってるのはどうしてかしら」

 パーティーに集まったご婦人たちは訝しげに彼女に視線を向けている。

 あの子はどこ? クロエはどこかしら? ひそひそと囁いているのが聞こえて来る。

「くれぐれも、余計なことを言わないように釘を刺しておきなさい。あんな子が次期伯爵夫人だなんて、誤解されたくない。みんな不安がる。全くクロエなら……いいえ、なんでもない」

 "クロエ"は暗黙のルールで禁句だったのだが、母の方が先にそれを破ってしまった。ウェスの顔色が変わったのを察して、母はそそくさと逃げるようにその場を後にした。



「ええ、そうです。恋人よ、みんなには秘密ね」

 鈴を転がすような可愛らしい声で、おおよそ"秘密"とは言えない声量でベスが言った。

「ええ、私もそう思う。一週間後には、可愛いベイビーの誕生よ! ……なんてね」

 ほっそりとしたお腹をさすりながら、悪戯っぽく笑ってみせると、その場にいた何人かのどよめきがきこえてきた。居た堪れずに、ウェスはベスの腕を引っ張ってその輪の中から彼女を連れ出した。

「痛いわ、ウェス。どうしたの?」

「ベス……余計なことは言わない約束だろう」

「言ってないわ」

 ベスは心外だ、とでも言わんばかりに目を大きくして抗議した。

「さっき、"恋人"だと言っていた」

「大丈夫、みんなには秘密だと念押ししたわ。それに、そのこと私はまだ納得してないの。どうして恋人だと隠すの? きちんと紹介してほしいわ」

 ベスは腕を胸の前で組みながら、苛立ったように捲し立てた。すっかり戦闘態勢になっている。

「そう簡単じゃないんだよ……それより、さっきのベイビーって?」

「ああ、『跡継ぎのご予定は?』って言うから……。怖い顔しないで、冗談よ。それに、一週間もあったら、どうなるか分からない……そうでしょう?」

 浅はかな返しに、ウェスは腰が抜けてしまいそうだった。ことごとく期待を裏切られてしまう。どうして彼女はこんなにも暴走してしまうのだろう。

「……何言ってるんだ、俺たちの間にはまだ(・・)何もないだろう?」

「……わかってるわよ、それくらい。いいでしょう」

「よくない、とにかく勝手は困るよ」

 縋るように彼女の肩に手を置くと、ようやく彼女は状況を理解したようだった。きっと自分がとても情けない顔をしていたのだろう。泣き出しそうな気分だった。

「ごめんなさい、つい嬉しくて。愛してるわ、ウェス」

 するり、とベスの手が首に回された。誰かに見られてるのではないかと冷や冷やする。

「俺も愛してるよ」

 クロエはこういう時、いつも素っ気なかった。てきぱきと仕事をこなしながら、パーティーの参加者みんなと楽しくおしゃべりを楽しむ。放っておかれるのが少し悔しくてたまに悪戯すると、叱られるのだが、その怒った顔も可愛くてついついちょっかいをかけてしまう。お互い離れている時に、たまに目が合うのが嬉しくて……。

「それなら、ここでキスして」

 素早く、唇が僅かに触れるほどの短いキスだった。それでもベスは満足そうに笑うと、また一人で歩き出して行く。

 誘い込まれるようなバニラの香りが、いつまでも鼻に残っていた。
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