他人に流されやすい婚約者にはもううんざり! 私らしく幸せを見つけます
4.冬はすぐそこ
「クロエ、会いたかったよ」
二人で会うのは、お互いの屋敷の中間地点でもあるこの広場だった。
鮮やかな花が咲き乱れる、湖の畔には多くの恋人同士が身を寄せ合って歩いていた。
ここは恋人たちの聖地とも言われている。丘の上には鐘が立っていて、二人でこの鐘の音を聞けば永遠に結ばれるという言い伝えがあるからだ。
「私も会いたかったわ」
乾いた冷たい空気が二人の距離を自然に縮める。寄り添い合った肩が温かい。
「あのね、ウェス」
「クロエ、実は」
「ウェスから話して」
クロエは眉を下げて笑った。この前会ったときより、少し大人びて見えるのは見慣れない口紅の色のせいだろうか、ウェスはぼんやりとそんなことを考えた。
「……ああ、ありがとう、クロエ。あのさ、薄い薔薇色のドレスって持っていたりするかな?」
「薄い薔薇色?」
クロエの足が止まった。少し考えるような素振りを見せて、首を横に振った。
「いいえ、子どもの頃は着ていたけれど……どうして?」
「ああ、母が来週のパーティーに着てきてほしいって」
「来週のパーティー? 」
「ああ、そうなんだ。大丈夫、もし無いようなら誰かに借りれるように頼んでみる。従兄弟のサマーなら……どうした、クロエ?」
ウェスは当然、クロエが了承するつもりだったのだろう。黙り込んだままのクロエの顔をそっと覗き込んだ。
「ああ、ごめんなさい。ウェス……」
クロエの顔が僅かに曇った。
「いや、気にしないでくれ。例の如く、母の傾倒している占い師が"ラッキーカラーは薔薇色だ"と言ったそうなんだ。馬鹿げているとは思うが、しばらく我慢してくれ」
頼むよ、とウェスはポンと肩に手を置いた。
「来週のパーティーには行けないわ」
「……なんだって?」
それはウェスが想像もしていない答えだった。
「どうして、毎年この時期はパーティーがある。知っていただろう?」
婚約者として当然の義務だ、とウェスは不機嫌そうに口をとがらせた。
「そうよね、ごめんなさい」
「……訳を聞こう。何か大切な用事が?」
「ええ、そのことを今日話そうと思っていたの」
ウェスはクロエと向き合うようにして、子どもに尋ねるように優しく語り掛けた。鳶色の瞳が心配そうに揺れている。
「来週から、ペネロペおばあさまの屋敷で暮らすことにしたの。前にも話したことがあったでしょう」
「ああ、でも……そのことはもう話し合ったじゃないか」
数週間の留守番を頼まれた時のことだ。あの時も大喧嘩になった。出来れば今日は喧嘩をしたくない。
「……あの時とは事情が少し違うの。ペネロペおばあさまはいつ屋敷に戻れるかまだわからないのよ。長く留守にするかもしれない、だから管理してくれる人が必要なの」
「そうかもしれないが……君がやる必要が? だれか人を雇ってもいいだろう」
「いいえ、私がやりたいの」
「……ハイガーデンに行くなら、今より私たちの距離は遠くなる。俺は君に会いに行けるほど暇じゃなくなる」
ああ、以前もウェスはそんなことを言っていた。屋敷を任せられているから暇じゃなくなる、婚約者の支えが必要だ、と。
だが、薄々クロエは気付いていた。パーティーの手伝いに呼ぶのは、次期伯爵夫人がきちんと存在することを領民に示したいから。それに、忙しいといいながら週末の度にあの幼馴染四人で酒場に繰り出している。
「……そう、それなら仕方ないわね」
「いいんだ、分かってくれれば」
「そうじゃないわ、会えなくなることよ」
「クロエ、君は俺の婚約者なんだ」
「私たち、本当に婚約しているといえるのかしら」
「何を言ってるんだ……?」
「いつもそう、貴方は口先ばかりじゃない。確かな約束をしている訳でもない。第一、いつ結婚するのか聞くと貴方はいつもはぐらかすわ」
クロエの目から涙が一粒零れた。今日は喧嘩をしないと決めたのに。
「……来年の春になったら式をあげるつもりだった」
ウェスの冷えた指が、優しくそれを拭ってくれた。
「そんなの、私は知らなかったわ」
「それがジェームズ家にとって一番いいんだ。勿論、君にとっても」
「それは、貴方のお母様の意見でしょう。この前また思い出したように結婚の話を始めたのは、エイダンが結婚して幸せそうだから」
「それは……」
ウェスが僅かに口籠もったのを、クロエは見逃さなかった。
「ペネロペおばあさまから前に留守番を頼まれたのは、ちょうど一年くらい前になるのかしら……あの時、貴方は年内に結婚するつもりだから行かないで欲しいと言ったのよ」
馬鹿みたいに信じた私も悪かったのだけれど。顔を合わせたら、また彼を責めてしまいそうだった。クロエは涙を見せぬように、くるりと背中を向けた。
「クロエ、待ってくれ!」
ウェスはクロエの細い腕を掴んだ。
「……君と別れたくない」
ウェスは真剣な眼差しでクロエを見つめた。
「ああ、ウェス、私も貴方と別れたいだなんて思っていないわ。私も結婚するなら貴方としたいと思っている。だからね……」
クロエは俯きながら、しっかりとウェスの手を両手で包んだ。
「今度は応援してほしいの。忙しい貴方と会えなくなるのは寂しいけれど、いつも通り手紙を書くから。たまに返事をくれたら嬉しい」
「クロエ……」
ウェスはクロエをそっと抱き締めた。すれ違う恋人たちには、二人が幸せそうに見えるらしい。微笑ましそうに目元を綻ばせて、顔を見合わせる。
ーーそれが少しだけ恨めしい。
遠くで鐘の音が響いている。クロエはウェスの背中に手を回しながら、冷たい冬の風を頬に感じていた。
二人で会うのは、お互いの屋敷の中間地点でもあるこの広場だった。
鮮やかな花が咲き乱れる、湖の畔には多くの恋人同士が身を寄せ合って歩いていた。
ここは恋人たちの聖地とも言われている。丘の上には鐘が立っていて、二人でこの鐘の音を聞けば永遠に結ばれるという言い伝えがあるからだ。
「私も会いたかったわ」
乾いた冷たい空気が二人の距離を自然に縮める。寄り添い合った肩が温かい。
「あのね、ウェス」
「クロエ、実は」
「ウェスから話して」
クロエは眉を下げて笑った。この前会ったときより、少し大人びて見えるのは見慣れない口紅の色のせいだろうか、ウェスはぼんやりとそんなことを考えた。
「……ああ、ありがとう、クロエ。あのさ、薄い薔薇色のドレスって持っていたりするかな?」
「薄い薔薇色?」
クロエの足が止まった。少し考えるような素振りを見せて、首を横に振った。
「いいえ、子どもの頃は着ていたけれど……どうして?」
「ああ、母が来週のパーティーに着てきてほしいって」
「来週のパーティー? 」
「ああ、そうなんだ。大丈夫、もし無いようなら誰かに借りれるように頼んでみる。従兄弟のサマーなら……どうした、クロエ?」
ウェスは当然、クロエが了承するつもりだったのだろう。黙り込んだままのクロエの顔をそっと覗き込んだ。
「ああ、ごめんなさい。ウェス……」
クロエの顔が僅かに曇った。
「いや、気にしないでくれ。例の如く、母の傾倒している占い師が"ラッキーカラーは薔薇色だ"と言ったそうなんだ。馬鹿げているとは思うが、しばらく我慢してくれ」
頼むよ、とウェスはポンと肩に手を置いた。
「来週のパーティーには行けないわ」
「……なんだって?」
それはウェスが想像もしていない答えだった。
「どうして、毎年この時期はパーティーがある。知っていただろう?」
婚約者として当然の義務だ、とウェスは不機嫌そうに口をとがらせた。
「そうよね、ごめんなさい」
「……訳を聞こう。何か大切な用事が?」
「ええ、そのことを今日話そうと思っていたの」
ウェスはクロエと向き合うようにして、子どもに尋ねるように優しく語り掛けた。鳶色の瞳が心配そうに揺れている。
「来週から、ペネロペおばあさまの屋敷で暮らすことにしたの。前にも話したことがあったでしょう」
「ああ、でも……そのことはもう話し合ったじゃないか」
数週間の留守番を頼まれた時のことだ。あの時も大喧嘩になった。出来れば今日は喧嘩をしたくない。
「……あの時とは事情が少し違うの。ペネロペおばあさまはいつ屋敷に戻れるかまだわからないのよ。長く留守にするかもしれない、だから管理してくれる人が必要なの」
「そうかもしれないが……君がやる必要が? だれか人を雇ってもいいだろう」
「いいえ、私がやりたいの」
「……ハイガーデンに行くなら、今より私たちの距離は遠くなる。俺は君に会いに行けるほど暇じゃなくなる」
ああ、以前もウェスはそんなことを言っていた。屋敷を任せられているから暇じゃなくなる、婚約者の支えが必要だ、と。
だが、薄々クロエは気付いていた。パーティーの手伝いに呼ぶのは、次期伯爵夫人がきちんと存在することを領民に示したいから。それに、忙しいといいながら週末の度にあの幼馴染四人で酒場に繰り出している。
「……そう、それなら仕方ないわね」
「いいんだ、分かってくれれば」
「そうじゃないわ、会えなくなることよ」
「クロエ、君は俺の婚約者なんだ」
「私たち、本当に婚約しているといえるのかしら」
「何を言ってるんだ……?」
「いつもそう、貴方は口先ばかりじゃない。確かな約束をしている訳でもない。第一、いつ結婚するのか聞くと貴方はいつもはぐらかすわ」
クロエの目から涙が一粒零れた。今日は喧嘩をしないと決めたのに。
「……来年の春になったら式をあげるつもりだった」
ウェスの冷えた指が、優しくそれを拭ってくれた。
「そんなの、私は知らなかったわ」
「それがジェームズ家にとって一番いいんだ。勿論、君にとっても」
「それは、貴方のお母様の意見でしょう。この前また思い出したように結婚の話を始めたのは、エイダンが結婚して幸せそうだから」
「それは……」
ウェスが僅かに口籠もったのを、クロエは見逃さなかった。
「ペネロペおばあさまから前に留守番を頼まれたのは、ちょうど一年くらい前になるのかしら……あの時、貴方は年内に結婚するつもりだから行かないで欲しいと言ったのよ」
馬鹿みたいに信じた私も悪かったのだけれど。顔を合わせたら、また彼を責めてしまいそうだった。クロエは涙を見せぬように、くるりと背中を向けた。
「クロエ、待ってくれ!」
ウェスはクロエの細い腕を掴んだ。
「……君と別れたくない」
ウェスは真剣な眼差しでクロエを見つめた。
「ああ、ウェス、私も貴方と別れたいだなんて思っていないわ。私も結婚するなら貴方としたいと思っている。だからね……」
クロエは俯きながら、しっかりとウェスの手を両手で包んだ。
「今度は応援してほしいの。忙しい貴方と会えなくなるのは寂しいけれど、いつも通り手紙を書くから。たまに返事をくれたら嬉しい」
「クロエ……」
ウェスはクロエをそっと抱き締めた。すれ違う恋人たちには、二人が幸せそうに見えるらしい。微笑ましそうに目元を綻ばせて、顔を見合わせる。
ーーそれが少しだけ恨めしい。
遠くで鐘の音が響いている。クロエはウェスの背中に手を回しながら、冷たい冬の風を頬に感じていた。