バー・アンバー 第一巻

わたしの名前はミキ

俺は目を丸くしてまさか読心…?と一瞬でも疑うのだがとにかく体裁をつくろうかのように軽く咳払いをしてから「ああ、じゃあオンザロックをダブルでもらおうか」と注文した。ダブルはこれでも見栄を張ったつもりなのだ。ママはカウンター下の冷凍庫からぶっかき氷を取り出すとグラスに入れ、メジャーカップでダブルのウイスキーを注ぐ。それをマドラーで掻きまわしながら「ワタシナマエ、ミキ。アナタハ?」と名を聞いて来た。ミキ?…ハハア源氏名だなと思いつつ「田村、田村淳二さ。職業はフリーライター」と答え差し出されたウイスキーに口をつけた。先ほど来の性的興奮の余韻の中にあった口の中はカラカラで、ウイスキーはことのほか旨かった。ひとくちふたくちと立て続けにあおりながらこの先の会話の持って行きようを考える。ママとの年の差は優に十以上もあるだろう。しかしいまさら大人ぶったところで(今しがたのおのれのザマを思えば)始まるまい。「ミキさんは…えーっとその、どこの国の出身ですか」などと〝さん”づけの〝です〟言葉で聞くのに「ミキデイイヨ」と返され、たたらを踏まされる。決まり悪げにいま一度咳払いをして「あ、ああ、そう。じゃあミキ、君は中国人?それとも韓国かな」と聞くのに「ミキトイッタデショ。ワタシ、ニホンジンヨ」そう返すのだが言葉の抑揚がいかにもおかしく、コンピュータの機械的な合成音としか聞こえない。しかしそれを云うのも憚られるので話題を変えた。「そうか、そ、そりゃそうだよね。ところでさ…さっきピュグマリオンって云う声がしたけど、あれって、君?」「ソウ、ワタシ」やはりそうかと納得はするがしかしなぜピュグマリオンなのかわからない。それをそのまま聞いてみる。
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