バー・アンバー 第一巻

ミキではなくアキだ

その時の驚がくこの上ないミキの顔といったらなかった。目を大きく見開いて暫し俺を見つめる。そして幾許も無くその目から溢れるような大粒の涙が流れ出した。カウンターに置いた俺の右手を両手で握りしめ、嗚咽するように「はい、はい…」と答え、続けようとするが言葉にならない。俺は「やはりそうでしたか。いや、お会い出来て光栄です。俺は、い、いや、私は、平素からあなたの受けた仕打ちに対して痛く義憤を感じている者です。出来たらあなたの力になりたいし、あなたの恨みを晴らしたい。せっかく会えたあなたなのに…このあと邪魔が入ってまた〝あなた〟と会話が出来なくなるのが心配です。いったいどうすれば…」するとミキはしゃくりあげながらも頭を振って「ううん、いいの、いいのよ、田村さん。そんな〝です〟言葉なんか使わなくても」と云ってからおしぼりを一つ取り出しそれを暫し顔に当てる。ややあっておしぼりを離すとその顔に殊勝にも笑みを浮かべた。
「ありがとう、田村さん。わたしやっといま自分を取り戻せたみたい。今までは分裂してたというか、自分を統合できないような感じで…(一回しゃくりあげてから)ふふふ、ごめんなさいね。わたし、あなたを混乱させたみたいで」
「いいや、そんなことはないです…いや、ないよ。自分なりに君の立場を分析してたから。その…霊的な立場をね」
「そう?あなたそちらの方にお詳しいのね。そのせいかしら、あなたとお話してるととても安らぐの。何て云うか、あなたに誘導されているような気がして。ふふふ」詳しいも何もあなたこそが今その霊ではないですかなどと思いながらも俺は
「ははは、誘導なんて、そんな大層なこと出来るわけないですよ。あ、いや、ないさ。うーん、それでね、✕✕✕✕さん…」
「ミキでいいわ」
「あ、そう?何か今ご自分に戻ったばかりで、動揺してるんじゃないかと心配なんだけど…あの、ほらアイツが来そうなんでしょ?時間がないと思うんで…それでね、ミキ。提案なんだけど、またアイツが来て君が分裂っていうか、自分を失いそうになった時にさ、俺、君をミキではなくてアキと呼ぶから。つまりそれは✕✕✕✕さん、あなたのことだ。俺があなたに呼び掛けてると思って。ね?」
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