バー・アンバー 第一巻

昇天するイブ、紡ぎ歌とともに

同じ理屈で次の瞬間には改札を抜けてホームへと上がろうとする老女が目撃された(まるでストップモーションだ)。エスカレーターの手前でこちらにふり向き、両手を合わせて深くお辞儀をしている。いやいやとばかり右手をふってお辞儀を返す俺の目にしかしさらなる摩訶不思議が目撃された。俺に合掌している老女の姿がなんと突然イブに変身しているのだ!何メーターも離れたそのイブの身体からはさきほどの体臭どころか、えも云われぬ芳香が漂ってくる。身は全裸ではなくあの紡ぎ機で織ったとおぼしき銀色の服をまとっている。「王様、立派になられました」凛とした声でそう伝えると両手を口元に持っていき、そしてそれを、両手を大きく広げて胸腔いっぱいに溜めた息を俺に吹きかけてよこした。その瞬間この身が感電したように震え、そしてあの目には見えぬがまとわりついて離れなかった強大な悪想念が雲散霧消し行くように感じられた。イブは背を向けてエスカレーター上の人となったが、その頭上にあるべき駅舎が消えてしまい、エスカレーターが無限に上に続いているように見えた。さらにはエスカレーターそのものさえ消えて、畢竟イブ昇天の景となったのだった。耳にあの「紡ぎ歌」が聞こえて来る。
♬…さあ紡ぎましょう、織りましょう。見事な糸を、織物を。コトトンコトトン、コトコトトン。そうしたらきっと、道行く人々がふり向いて、わたしの主人の立派さを、紡いだわたしの労苦を褒めるでしょう。ああ、嬉しい!…それをよすがに、さあ、今日も紡ぎましょう、織りましょう。コトトンコトトン、コトコトトン…♬
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