奪われたオメガは二つの運命に惑う

3.婚約者

『運命の番であるリディ・アンベールに、ジェラルド・ペローより婚約を申し込む』
 その簡潔すぎる婚約の申し込みの書状にアンベール家は沸き立った。ペロー家はアンベール家よりも格上の侯爵家なので、断る理由などない。それが運命の番なのだと言われればなおさらだ。そうして書状が届いた数日後には、婚約を結ぶためにジェラルドがアンベール家に訪ねてきたが、彼はある申し出をした。
「婚約式を結ぶまでに、リディとどうしても番いたい。構わないか?」
 応接室でそんなことを言い出したジェラルドに、両親は顔を見合わせたが、快諾した。というのも、魅力的なオメガは、それだけでアルファに狙われることが多い。このために番いたい相手を見つけたアルファが、婚約式に先駆けて番だけ結んでしまう例は珍しいことではなかったからだ。
 ベータ同士の貴族の婚約なら考えられないことだが、まだ婚約を正式に結んですらいないリディとジェラルドの二人は、ベッドのある客間で二人きりにされた。
 客人であるはずのジェラルドは、堂々とベッドのふちに腰掛けて、リディに手招きする。ジェラルドは訪ねてきたときと同じ服装だが、リディはコルセットのない部屋着に着替えていた。
 リボンで腰を引き絞るデザインだから、多少は腰が細く見えるものの、コルセットがないから自分の身体の貧相さが目立つようで、リディは余計に恥ずかしい。
「リディ。こっちに来てくれ」
「あの……」
(今から、番う、のよね……? でもベッドなんか……)
 急展開に戸惑ったリディは、ベッドに近づかずに頬を赤らめたまま近づけないでいる。
「俺と番うのはいやか?」
「そ、そういうわけじゃ……だって、私、ジェイが……初恋なんだもの……」
「へえ……そりゃ嬉しいな」
 笑んだジェラルドは両手を広げた。
「でも、恥ずかしくて……」
「……俺は、すぐにお前が欲しい。だからこっちに来てくれないか」
 もう一度促したジェラルドの声に、リディは小さく頷いた。そうして、そろそろと歩いて、ベッドに近寄り、あと一歩、というところで、ジェラルドがリディの手首をつかんで引き寄せた。
「あっ」
「捕まえた。俺のだ、リディ」
 耳元で囁かれて、リディはどきりとする。だが、それは心の高揚ではなく、違和感だった。
(え?)
「あなた、ガエルさん……?」
 ぱっと離れようとしたリディに、彼は笑った。
「そんなわけないだろ」
「ううん、ジェラルドさんじゃないもの」
 快活な笑顔を浮かべた彼はどこからどうみてもジェラルドだ。だが、リディの中の何かが、彼を『ガエルだ』と告げる。しばらく無言で笑んでいた彼は、やがて深いため息を吐いた。
「……うーん、どうしてわかっちゃったのかなあ。今まで誰にもバレたことないのに。リディは鋭いね?」
 言いながら彼――ガエルは、にっこり笑い、リディの腰を抱きこんだ。その腕が腰を撫でた感触にリディは身体を震わせる。
(やっぱりガエルさんだった!)
「や……っ!」
 拒絶の声があがったが、撫でられた場所が熱を持つ。
「ん、いい香りがしてきた。……ねえ、今ここには僕しかいないよ? リディ、僕に発情したんじゃない?」
「そんな……だって、このあいだ、は……」
 リディの身体の奥が熱い。オメガがアルファを誘うフェロモンの香りが、ガエルを煽りたてている。明らかにこれは発情であると、もう過去二回の感覚でリディはすぐにわかった。だが、この前に発情したときには、確かにジェラルドに触れて発情したはずなのに。
(どうして、今発情してしまうの……!? 私は、ジェラルドさんが……運命の番なんじゃ……)
「あのとき、僕も一緒の部屋にいたでしょ? だから、僕に反応してたんじゃない? ふふ、リディ。ジェラルドのことが好きだったみたいだけどさ……」
「んぅ……っ」
 身体の力が抜け始めたリディは、ガエルが口づけるのをなすすべなく受け入れる。
「やめ……て、あなたは、私の、運命なんかじゃない……!」
「残念。僕が君の運命だよ」
「いや……っ!」
 叫んだリディの身体が持ちあがって、ベッドに柔らかに押し倒される。
「ね、リディ。痛いことはしない。いっぱいいっぱい気持ちよくなったら、最後にうなじを噛んであげる。抱き合って番うと、とーっても気持ちいいんだって」
「あ、ああ……」
 覆いかぶさったガエルは、リップ音をたててリディの鎖骨に口づけを降らせる。首筋はまだ首輪をつけていて守られているからなのか、その周辺に執拗に口づけて、ガエルはリディの白い肌に痕をつけた。
「やめ、て……や、助けて……!」
「二時間は誰も来ないよ。そうお願いしてある。だから可愛い声をいっぱい聞かせて?」
 腰のリボンを解いたガエルは、するっと引っ張って前開きのドレスを横に広げる。たったそれだけで、ドレスの下に着ている下着が丸見えだ。
「やっ見ないで……!」
 身体が疼いているのを自覚しながらも、リディはとっさに両腕で身体を隠した。
「隠さないで。可愛いリディ」
「あ……っ」
 乱暴に腕をほどくことはしないで、ガエルはそうっとリディの腕を撫でる。その触れられた先から新たな熱が湧き上がるようで、じわじわとリディは息を荒くした。
「どうして見てほしくないの?」
 静かな声が急かすでもなく、心を解くように尋ねる。その間にもリディの身体は発情の本能だけで、触れられなくても昂っていく。
「恥ずかしい……から、いや……」
「どこが?」
「だって私……」
 答えかけて、リディは泣きそうになった。先ほどまで身体を暴かれること自体に抵抗をしていたはずなのに、今は、ガエルに身体を見られることを恥ずかしがっている。それは、貧相な身体に幻滅して欲しくないと思ったのだ。
(なんで、なんで……自分がわかんない! なんで……この人に触ってもらいたがってるの!?)
「だって? ああ、どうして泣いてるの? リディ。僕、君には笑ってて欲しいんだけどな」
 気づけばリディの目尻には涙がつたっている。それを指先で拭って、ガエルはリディの目尻に柔らかに口づけを落とす。きっと、ガエルはリディのフェロモンにあてられて、酷く興奮しているはずだ。だというのに、獣のように襲い掛かってもいいはずの彼は、ずっと穏やかな触れ方をしてくる。さっきジェラルドは運命じゃないと意地悪く告げたガエルが、こんなにも優しい。それがなおさらリディを混乱させた。
「……わ、私……胸が、ちいさいから……」
「なんだ、そんなことか。可愛いのに」
 ふふっと笑ったガエルは、力の緩んだリディの腕を外して、服の上から揉み始める。
「ん、あ……っ」
「大丈夫、リディは全部可愛いよ。僕が見つけた、僕の番」
「ひぁんん……っ」
 甘い言葉を繰り返し囁かれ、リディの身体はガエルの手によって暴かれていく。先ほどは運命じゃないと拒んだが、触れられるたびにもっとして欲しいと身体が求めるのは、運命の番である証拠ではないか。
 初恋の人と番でなかったショックを受け止めきれていないままに、リディはガエルの手でとろとろに解され、身体から彼を求めさせられる。
「あ、あんっあっだめぇ……!」
 時間をかけてリディの身体をまさぐるガエルは、リディの受け入れ準備が終わってもなお、身体を繋ぐことはしなかった。くりかえしリディを溶かし、愛撫が始まって一時間が経つころには、色々なこと考えていたはずのリディは、もうガエルに与えられる快楽のことしか考えられない。
「もう、もう……ガエル、おねがい……」
「うん? シたことないのに、欲しくなっちゃたの?」
「わかんない……あっやんん……いじめ、ないで……! あっあああっあっ」
 身体を震わせながらリディは哀願する。初めて発情したときには一度達しただけで治まっていたのに、今は身体が治まらない。それはきっと、番っていない運命の番と接すれば接するほどに、発情が強まってしまうからなのだろう。
 今のリディは、羞恥よりも楽になりたいという気持ちが強かった。
「うん……もうそろそろいいかな。リディ、最初だけ、痛いかもだけど……ちょっとだけ我慢してね?」
 そう告げたガエルはズボンを緩めて、下半身を彼女に押し当てる。
「ゆっくりするね?」
 言いながらゆっくりとガエルは、リディの中へと入っていった。
「あ、ああっが、える……さ……あっ」
「痛い?」
 問われたリディは、とっさに首を振った。彼女のなかに駆け巡っているのは、ほんの少しの痛みと、そして、それを遥かに上回る快感だった。オメガの発情が快感を増させるのか、ただ貫かれているだけのその行為はリディにとって気持ちがいいものだった。
「きもち、い……」
 それはこの行為が始まって、初めてのリディの素直な感想だった。
「……っだめだよ、今、そんな煽るようなこと言っちゃ。可愛すぎるよ」
(可愛い、の?)
 くりかえし言われる甘い言葉に、リディの胸がきゅうっと苦しくなる。
「……リディ。動くよ」
 溜まらず、ガエルは腰を振り始める。
「あっあああっひゃ、あ……! だめ、そ、な……イっちゃ……ああっ」
「いいよ、たくさん気持ちよくなろうね、リディ」
 甘い言葉を繰り返しながら、ベッドを軋ませての行為はしばらく続くのだった。
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