財閥御曹司に仕掛けられたのは、甘すぎる罠でした。
 東京の夜景をバックに、背の高い椅子に腰かけた悠賀様。
 まるで私を見定めるように、執務机に肘をつき、手の甲で頬杖をついてこちらを見ている。

 その堂々とした居住まいは、桜堂グループをこれから背負う御曹司ならではのもの。
 夕方に会った時と同じ人なはずなのに、何かオーラのようなものを纏っている気さえする。

「待っていたよ、依恋さん。ほら、入って。扉が閉められないだろう」

 見惚れてしまっていたらしい。

「は、はい、申し訳ございません……」

 背筋を正して、部屋の中に足を踏み入れた。
 後ろで、ガチャリとドアが閉まる音がする。
 同時に、後ろからの視線を感じた。先ほどの初老の男性が、そこにいるらしい。

 ――逃げられない。

 桜堂財閥の敷地内に、その御曹司。対するは、立花家のちっぽけな人間(わたし)

 何をされるのだろう。
 喉が締まってしまったように、浅い呼吸を繰り返す。

「そんなに緊張しないで。少し、聞きたいことがあるんだ」

「は、はい……」

 緊張で、声が上ずってしまう。
 答えた声は、自分でも聞き取れないようなか細いものだった。

「君、本当に『氷室』なの?」

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