君は運命の人〜キスから始まったあの日の夜〜

愛に溺れて

就業までの時間、こんなに胸がざわついたことはなかった。きてほしいような、きてほしくないような。時計の針はまだ午後三時を指していた。就業時間まであと三時間もある。午後もお客様の対応で忙しい。気を引き締めないと。
「先輩」っと、隣のデスクで仕事をしていた葉月ちゃんに呼ばれる。周りをキョロキョロと見渡し、声を顰める葉月ちゃん。
「さっき、大丈夫でしたか?」
「さっき?……ああ、うん、大丈夫」
「みんな、先輩と副社長が何かあるんじゃないかって、怪しんでますよ」
そういえば、ここに戻ってきてからというもの、やたらと視線を感じる。特に女性社員の視線が……
「ちょっと、仕事のことで聞きたいことがあったみたいで」
「そうなんですか?」
「うん……」
結婚することになったから、葉月ちゃんにも言わないといけないんだろうけど、今はまだ言えない。話がまとまって、ちゃんと説明できるようになったら話す。
「あっ……雨だ」
ぽつりと呟かれた葉月ちゃんの言葉に、つられるように窓の外を見る。今日の天気予報は晴れだったというのに、予報外れの雨が降る。青かった空を、どんよりとした厚い雲が覆い、ビルの窓を濡らしていく。
折り畳み傘、持ってきといてよかった。
あの日から、傘は必需品になっていた。もしかしたら、また彼がどこかに。そんなことを思うと、天気予報がどうであっても、傘をバッグに入れてしまっていた。
……どうしてだろう。もう会うこともないのにな……
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