大魔導士は果てのない愛を金の環にこめて

わたしと彼の距離

 その夜、わたしは仕事を終えて自分の部屋に帰る。
 ありがたいことに、部屋は暖房魔法により暖かくされており、身を縮こまらせながら着替える必要は無い。

 肌触りが良く温かい寝間着の袖に腕を通し、これまでにないほど贅沢な就寝を迎えようとしていた時、不意に扉を叩かれる。

「どなたでしょうか?」
「……私です」
「旦那様?!」

 返されたぶっきらぼうな声に目を瞠った。慌てて扉を開ければ、黒く艶のある寝間着に身を包んだエドが立っており、わたしは声を失ってその姿を凝視した。

「すぐに扉を開けるとは不用心ですよ。私以外の人間が来たときは開けないようにしなさい」
「申し訳ございません。気を付けます」

 注意されてしまったとはいえ、私のことを気遣ってくれているようで嬉しい。
 頬が緩まぬよう両手でさりげなく持ち上げていると、その手をエドにとられる。

「顔をよく見せてください」
「かっ……?」

(聞き間違いかしら?)

 都合の良い勘違いかと思ったが、そうではなかった。エドは優しい手つきで私の頬に手を滑らし、やんわりと顔を上に向けさせる。

 その手は幼い頃のエドを思い出させてくるのものだから、懐かしさに泣きたくなった。

(どうしよう。急にエドの顔が近くなった)

 間近に迫る深い青色の瞳は私の心を見透そうとしているかのようにじっと見つめてくる。
 とくとくと駆け足になっている心臓の音が耳に届いていたたまれない。

 込み上げてくる懐かしさと愛おしさを押しとどめて、エドの瞳を見つめ返す。

 高い鼻梁に、頬に影を落とす長い銀色の睫毛。薄く形の整った唇は、小さく溜息を零している。そのすべてが美しくて魅了されてしまう。

 あの唇が触れた時のことを思い出すと、自然と頬に熱が宿る。

「あ、あの……旦那様、ご用件を教えていただけますか?」
「あなたにかけた契約魔法の定着具合を確認しに来ただけですから」
「……そう、でしたか」

 わかっていた筈のことだがエドの口から伝えられると胸の奥に痛みが起こる。
 先ほどまで浮かれていた心が、一気にくしゃりと潰れたような気がした。

「まだ繋がっていないのか……」
「……?」

 耳元にはどこか悲しそうにも焦っているようにも聞こえる声が落ちてくる。
 幼い頃にもエドが私の顔を見てはそう言っていたような気がして、おやと首を捻った。

 私を見つめるエドの表情はぞくりとするほど強い感情を露にしており、特に深く濃くなった青色の瞳には身を震わせるほどの気迫が宿っている。

 服の釦を掛け違えたような違和感を覚えたが、その正体がわからなかった。

「芳しくない状態なのでしょうか?」
「いいや……そうですね。私の魔力がまだ完全には馴染んでいないようですので、しばらくは側で観察していないといけないようです」

 魔法の教育を受けたことの無い私はその理がわからず、「そうですか」と返事をすることしかできない。

 エドは私の頬から手を離すと、また私の心を読もうとするようにしばらく見つめた後、「よく休むように」と残して部屋を出て行ってしまった。

 彼が部屋を出るのと同時にふわりと暖かい空気が部屋中を巡る。
 それはジャスミンのような花の香りを漂わせ、まるで花園の中に居るかのような芳醇な香りが辺りに満ちる。

「これもエドの魔法なのかしら?」

 わたしは閉じた扉をじいっと見つめた。この扉がもう一度開き、エドの姿を見られたらいいのに、と叶わない願いを抱く。

「それにしても……、エドは隠し事をしているような気がします」

 その直感がどこから来るものなのかわからないが、確信めいたものがあった。

(わたし、どうしてそう思ってしまうのかしら?)

 ぐるぐると思考が周るほどわけがわからなくなってくる。
 混乱した私は寝台に上り布団をぐるぐると身に巻きつけ、夢の世界に逃げることにした。
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