※彼の姉ではありません

御曹司とホームレス


 幌延商事──この国でその名前を聞いたことのない人はいないだろう。

 金属資源や食品産業、次世代エネルギーなど、事業内容は多岐にわたる。幌延グループを牽引する大手総合商社だ。

 関連会社や子会社は数知れず、海外拠点も世界中にあるという。まさに指折りのエリート企業。

 ……その御曹司が、すぐそこにいる。

 冷や汗が腋から流れ、耳元でごうごうと滝のような音がする。視界が黒く点滅して、意識が遠くなるのをなんとか戻した。


「大丈夫ですか、顔色が真っ青ですよ」

「大丈夫です、ありがとうございます」


 私は無理に口の端を吊りあげて誤魔化した。犯罪よりもよっぽど厄介な面倒事に巻きこまれてしまったと、心の隅で思った。


「私は前田 有希子(まえだ ゆきこ)と申します」


 私はそう言って免許証を見せた。本当なら名刺を渡さないといけない場面だ。

 でも、昨日いきなり倒産した会社の名刺なんて出せるはずもない。しかも社長以下経営陣は、社員になにも知らせず夜逃げしてしまった。こんなこと絶対に話せない。

 挙げ句に住んでいたアパートは火事になって全焼。重なる不幸に、これは本当に現実なのかと、ネットカフェでまんじりともできずに朝を迎えた。

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