可哀想 は 可愛い ~人質として嫁いだ王女は聖人君子な夫に毒を盛る~
 陶器が割れる音と侍女たちの悲鳴が、部屋に響き渡った。

「お、おやめください、カチェリ様っ‼」

 しかし侍女たちの声は、陶器が割れるのを止められなかった。
 鼓膜を刺激する耳障りな音が何度も何度も続き、高価な茶器たちが、何の役にも立たない陶器の欠片となっていくのを、私は無言で見つめていた。

 自分の手の中にあった最後のカップを床に叩き付け終わると、部屋の中が恐ろしいほど静かになった。

 この部屋にいる者たち皆が目を見開き、中には口元に手を当てながら、床に散らばった茶器だったもの見下ろしている。
 
「ああっ……なんてことを……」

 声を震わせながらそう呟いた侍女は、慌てて部屋を出て行った。
 この部屋の主である私に挨拶一つしなかったが、どうでも良い。

 彼女が誰を呼びに行ったのか、分かっていたから。

 そしてその人物こそ、私が待っている相手――

 部屋のドアが開くと同時に、

「一体どうした?」

 穏やかな男性の声が、私の耳に届いた。
 私が壊した茶器の破片を拾っていた侍女たちが振り返り、救いを求めるような視線を声の主に送っている。

 この国――グランニア王国の王太子であるハンスに。

 金色の髪に青い瞳。
 皆の視線を奪う整った容貌。しかし纏う雰囲気は、見た目の華やかさの中に穏やかさを兼ね備えている。

 麗しき次期国王。
 しかし、弱きも強きも等しく手を差し伸べる、聖人君子と呼ばれるに相応しい人格者。

 幼い頃は、その美しい姿と民を想う純真無垢な心から、天の使いだと本気で思われていたと聞いたときは笑ってしまったほどだ。

 大人になっても全く変わっていなくて。

 世界の美しい部分だけを集めて作られたような、穢れを知らぬ存在。
 それが目の前の男だ。

 そして私は、グランニア王国との戦争で無残にも敗北したルシ王国の王女であり、終戦の際、和平の証としてこの男に嫁がされた妻という名の人質。

 目の前で人が、国が焼かれていくのを見た。
 政略結婚の道具として私を扱う家族の中で、一人の人間として唯一私を大切にしてくれた兄を殺された。

 地獄を見た。

 祖国は敗北し、多額の賠償金とともに、兄を殺した憎き国に私を嫁がせた。

 兄を奪ったこの国が憎い。
 そして、

(この男が……憎い)

 世界の美しい部分しか知らないこの男が、憎くて堪らない。

 嫁いできた妻が夫に指一本触れさせないだけでなく、暴れても物を壊しても、声を荒げることはなく、いつも穏やかな笑みを浮かべて私を宥めるこの男が憎くて堪らない。

 この男を、私と同じ土俵に引きずり下ろしたい。
 その穏やかな表情に、憎しみと怒りを刻みつけたい。

 しかし、

「ここは破片が散らばって危険だよ、カチェリ。別室を用意させよう」

 夫の声は全く乱れない。こちらに向かって手を伸ばす彼の口元には、私を安心させようとしているのか柔らかな笑みすら浮かんでいた。

 私に手を差し伸ばす様子はさしずめ、天使が罪人を救済する一幕か。侍女たちが夫の笑みに魅了され、ほうっと息を吐き出す音が聞こえる。

 床に散らばった陶器の破片など存在しないかのように、穏やかな空気が場を満たす。

 どれだけ私が暴れても、
 物を壊しても、

 この男の笑みを崩すことは、未だ叶わない――
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