俺様御曹司からは逃げられません!
 そして顔を上げた楓は驚愕で目を瞠ることになった。

(絢人さん……!)

 柊吾の母の背後には、一ヶ月前に会ったきりだった絢人がいたのだ。
 彼もまた、楓の姿を視界に入れると目を見開いて驚きを露わにしていた。
 二人の動揺を知る由もない柊吾の母は、楓を見るやいなや勢いよく頭を下げる。

「宮下先生!うちの柊吾が大変失礼いたしました」
「い、いえ……とんでもございません……お顔を上げていただいて……」

 混乱を引きずりながらも楓は柊吾の母に向き直った。
 彼女に謝られるのは心臓に悪く、別の意味でも動揺しながら手を何度も横に振る。
 
 柊吾の母は、楓が勤める企業内保育所「二見あやめ保育園」のオーナーである二見財閥の人間、それも本家の方なのだ。
 
 彼女自身も二見グループの中核企業の一つ、二見不動産で働いているため、息子の柊吾を楓の勤務先に預けているが、本来は雲の上の存在である。
 もちろん在園児に対しては平等に扱っているものの、保護者対応に関しては「くれぐれも失礼のないように」と園長からきつく言い含められている。
 
 ちなみに今楓がいる「イリスモール」も二見不動産が手掛けたものだ。
 日本経済は二見グループによって支えられている、と言っても過言でない。その創業者一族である二見家の影響力についても推して知るべし。

 しかしこの場に絢人がいることも衝撃的すぎて、楓は再び彼に視線を向けてしまう。

(もしかして、柊吾くんのお父さん?)

 柊吾の父親は仕事が忙しいらしく、楓は一度も見たことがなかった。並んで見ると、柊吾にはどことなく絢人の面影がある。
 絢人が柊吾の父親なら、それは即ち彼は結婚しているということだ。
 
 忘れたはずの感情が舞い戻ってきて、楓の胸を鋭利に刺す。
 楓が言葉に詰まっていると、絢人が一歩こちらへ近づき、それからため息を吐いた。その表情はどこか苦々しげだ。
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