このたび、乙女ゲームの黒幕と婚約することになった、モブの魔法薬学教師です。
   ◇

 夕暮れ時の庭園で、【私】は両掌に包んでいるリボンを見ていた。
 アロイスの瞳と同じ色のリボンを持っている――きっと、この夢はアロイスルートの夢なんだ。

 オリア魔法学園では代々、学園祭を一緒に過ごしたい相手に自分の目の色と同じリボンを贈るのが習わしで。
 【私】はきっと、そのリボンをアロイスから贈られたんだろう。

「……嬉しい」

 そう呟く【私】は足音に気づいて顔を上げた。すると振り返った先に、ダルシアクさんが立っている。

「学園祭が始まる前に、ファビウス卿はこの学園を襲います。月が高く昇る頃には学園中を覆うほどの強力な魔法印を描いて魔術を発動させるんです。それを止められるのは、あなただけでしょう」
「ファビウスせんせーが学園を襲う? せんせーはそんなことしませんよ!」

 憤慨する【私】を見て、ダルシアクさんは苛立たし気に眉を顰めた。
 ひどく急いているようで、さっとあたりに視線を巡らせると、【私】の前で膝を突いた。

「お願いです。あのお方を止めてください。私にはできないのです」
「なんで?」
「説明している暇はありません。どうか、あのお方を止めてください。そうじゃないとあのお方は――ぐっ。あのお方に……ファビウス卿に、気づかれてしまったようです」

 ダルシアクさんは胸を手で押さえて苦しみ始めた。
 地面に倒れて、苦しそうに藻掻きながらも、必死で言葉を紡ごうとしている。

 あのお方を止めてください。
 動き出したらもう、破滅の道を歩むことになるから――。

 そう訴え続けていたダルシアクさんが動かなくなり、【私】の悲鳴がこだました。

   ◇

「わあぁぁぁぁっ!!!!」

 自分の叫び声で目が覚めた。
 部屋の中は明るく、どうやらちょうど朝のようだ。明るい室内を背景にして、猫のぼんやりとしたシルエットが視界を占める。

「小娘、大丈夫か?」

 ジルがいつになく優しい声で起こしてくれた。
 それと同時に、頬に温かなモフモフが触れる。どうやらジルが頭を頬に擦りつけているらしい。

 今日は空が降ってくるんじゃないかしら?
 そんなことを考えつつモフモフが触れてくれる幸せを堪能する。

 豪快な性格に合わずこまめに毛づくろいしているジルの毛は肌触りがよくて、触れるとホッとした。
 情けないことだからジルには言えないけど、ウィザラバの夢を見てしまった恐怖が、おかげで少し安らいでくれて。

 おまけに布団から出していた手にはミカが顎を載せていて、ずっしりとした重みがまた愛おしくなる。

 弱っている時にはモフモフが特効薬になるようだ。
 二匹を撫でつつ心を落ち着かせた。

「二人ともありがとう。私は大丈夫よ」
「……嘘つくな。泣いてるくせに大丈夫なわけないだろう」
「泣いてる? 私が?」

 ジルの言葉が信じられなかったけど、目元を触ってみたら確かに濡れていた。
 驚いていると、ミカが眉と耳を下げて、とても悲しそうな顔をする。
 そんなミカが聞かせてくれた話によると、私はずいぶん魘されていたらしい。それも、たいそう苦しそうな声を出していたとかで。

 不安で不安で仕方がなく、ノエルに報告したんだとか。

「えっ?! ノエルに言ったの?」
「もちろんです。レティシア様になにかあればすぐに報告するよう仰せつかっていますので」

 身に危険が起きているならいざ知らず、悪夢に魘されていることまで心配してノエルに報告してくれるなんて、二匹とも私に対して過保護すぎるんじゃないかい?

 ノエルだって、朝一番に「あなたの婚約者が悪夢を見ていました」だなんて報告を聞かされたら困惑するはず。
 ……それとも面白がるかもしれない。今日会ったら一番に、「怖い夢見たんだって?」と聞かれそうな気もしてきたわ。

「夢の事までノエルに報告しなくていいのよ?」
「いいえ、そんなわけにはいきません。ご主人様はいつもレティシア様の夢見を心配しておりますゆえ」
「え? 本当に?」

 ジルとミカは黙ってこくりと頷いた。
 それはもう、噛みしめるように頷くものだから、真実味が増してしまう。

 ノエルはノエルで、私に対して過保護のようだ。
 そりゃあ、以前にダルシアクさんの魔術の影響で悪夢を見てしまった事があったけど、それ以来はノエルのおまじないに守られているのに夢見を心配してくれるなんて……過保護で、甘すぎる。

「小娘、どんな悪夢を見た?」
「前世で見たこの世界の夢よ。……ダルシアクさんが、ノエルを裏切って、それでノエルの怒りを買って殺される夢を見たの」
「はぁっ?! それはない!」

 ジルは心底驚いたようで、顎が外れそうなくらいパカッと開いた。

「そもそもあいつはご主人様を裏切れないように運命づけられているんだ」
「なにそれ? どういうこと?」
「むぅ……俺様の口から言うわけにはいかないから教えられないが、いずれご主人様が話すだろう。とにかく、あいつは生まれながらにご主人様に絶対的な忠誠を誓っているような奴なんだ。裏切りなんて思いつきもしないだろう」
「確かに、実際のダルシアクさんを見たらそんなことしなさそうな人だとは思ったけど」

 ノエルへ向ける眼差しはもはや崇拝の域で、たとえノエルに対して不満を持つことがあったとしても離れようとしない人だ。
 もしジルが言う通り、それが生まれつき運命づけられたものであるのなら、ゲームの中のダルシアクさんだって同じくらいノエルを第一に考えていたはず。

 絶対的な忠誠を誓う相手を裏切る理由って、なんだったのかしら?

 確かめようのない疑問だけど、そこに大切な分岐点があるんじゃないかと思ってしまう。

「小娘、やはり今日は無理せず休め」
「へっ?!」
「そうですよ、レティシア様の心身が疲弊しきっているように思えます。そんな日にお仕事をしていてはいけません。今日はこのまましっかりと休んでください。また悪夢を見そうでしたら、私たちをモフッていても構いません」
「……くっ、誘惑に負けそうだけど、そういうわけにもいかないわ」

 のんびりだらだらとしながらモフモフたちを愛でる。
 なんとも抗いがたい誘惑だが、学園祭の準備が始まっているいまの時期に休むわけにはいかない。
 なにが起きるのかわからないだけに、サラたちのことはできるだけ近くで見守っていたいもの。

 それなのに、この黒くてかわいいモフモフたちは誘惑ばかりしてくる。

「ご主人様も休めと言っているぞ、小娘。今日は存分に俺様をモフれ」
「私が美味しい紅茶とケーキを用意しますので、今日はお休みになりましょう?」

 しかも、次第に誘惑の内容が豪華になってくる。

「う、ううっ……そんなことを言ったって、できないことはできないのよ!
! 私は行くわ! 今日も今日とて出勤するのよっ!」

 そんなこんなで、黒幕(予備軍)とその使い魔たちに甘々に甘やかされそうなこの状況から逃げ出した。
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