このたび、乙女ゲームの黒幕と婚約することになった、モブの魔法薬学教師です。
 いつものように、放課後になるとノエルが準備室にやって来た。

「ノエル、手を出して」
「こう?」

 事もなげに差し出された手は綺麗で、鱗なんて一つも見当たらない。
 よかった。今のところはなんともないようだ。

 夢だとわかっているのに、今朝見たトラウマシーンを思い出してしまうとどうしても、ノエルのことが心配になってしまう。
 彼の体に異変があったら、どうしようと、不安に駆られる。

 ゲームの中のノエルはあの後、人じゃなくなってしまうから。

「体調は大丈夫?」
「特になんともないよ」
「本当に?」
「急にどうしたの?」

 まさか、夢の中で闇堕ちしたあなたを見ました、だなんて言えなくて、ただ当たり障りのないことしか伝えられないのがもどかしい。

「ノエルのことが心配で」
「第二の母上とやらは僕に甘いな」
 
 ノエルは笑ってそう言うと、私を座らせてお茶を淹れてくれた。

 今朝あんな夢を見てしまったせいで、ついついノエルの顔を見てしまう。

 向かい合って座るノエルの表情は柔らかくて、夢の中で見た彼と同じ人物のように思えない。
 そんな彼は授業がない日も放課後になれば決まってここに来るようになったものだから、たまにノエル目当てで女子生徒が質問しに来ることもある。

 生徒たちの前でイチャイチャするなとお局先生から言われたからノエルに控えるように言ったんだけど、そうしたら翌日にはお局先生が違う学校に異動してしまったからそら恐ろしさを感じた。

 やっぱり彼は抜け目がなくて、その気になればなんだってできる人なんだってことを思い知らされる。

 それでも、夢の中で見たあの黒幕ノエルとは、もう違う人なんだと思ってる。

「レティシア?」

 じっと見ていたせいか、ノエルはきょとんとした顔で覗き込んでくる。

「ごめん。考え事してた」
「ふーん? ぼんやりしてたように見えたけど?」
「失礼な。ちゃんと考えてたわよ」
 
 わかってたけど、睨んだところで彼に効果はなくて。
 怯《ひる》んでくれないし、楽しそうにクスクスと笑われる。

 なによう。
 あなたのことを心配しているというのに。

「そういえば、母上がまた遊びにきて欲しいと言っていたよ」
「……また? 毎週会ってる気がするんだけど……」

 あのお茶会の後、お義母様はやたら会いたがって招待してくる。
 しかも会うと決まって二人きりになってノエルの近状を聞き出してくるものだから、彼の一週間のトピックスをお話して、その話を元にお義母様が彼を称賛する言葉を披露するのをじっと聞いていなきゃいけない。

 ノエルの前では以前と同じ振る舞いをするものだから、彼に話してもちっとも信じてもらえないのが悩みだ。
 お義母様、息子に対するクーデレが過ぎると思う。

「僕の方から上手いこと言っておくよ」
「うん、ありがとう」

 逃げではないぞ。
 ノエルや生徒たちをバッドエンドから守るためにも彼らのそばにいる時間が必要だから会いに行けないだけで。
 
 そう自分に言い聞かせた。

「レティシアに言っておかなきゃいけないことがあるんだ。来週は仕事で国境付近に行くからここに来れなくなってね。ちょうど試験も終わったところだし、泊まり込みの出張になるよ」
「国境付近……」

 ゲームの一場面が、脳裏に過る。
 最後に出会う攻略対象、オルソン・ドルイユの華やかな笑顔が思い出される。

 彼はディエース王国からの転校生と身分を偽ってやって来る。
 その実、敵国シーアの王子という身分があって、このノックス王国を支配下に置くために送り込まれた油断ならない存在だ。

 ノエルは彼の侵入に気づき、魔法省の役人の立場を利用して接触する。
 オルソンの魔力から彼が王族だと感じ取ったノエルは、入国したばかりの彼に会って協力関係を結ぶのよね。

 オルソンがサラと出会う時期も近いし、国境付近に行くということは、彼の侵入を察しているのかもしれない。

 引き留めなきゃいけないわ。

「国境付近は危ないわ。本当にノエルが行かなきゃいけないの?」
「同僚もいるから大丈夫」
「最近はシーアの動きが物騒だからなおさら不安よ」
「正直言って、僕もレティシアから離れるのは心配だけどね」
「じゃあ、行かないで。ノエルと離れたくない」
「……っ」

 ノエルの紫水晶のような目が揺れる。

「出張を中止にはできないから、出張に行く前に二人で出かけないか?」
「あ、それは無理。私、今年は冬星の祝祭日の休暇はここに残る当番になってるからいろいろと忙しいのよ」

 ゲームでもイベントになっているこの祝祭日、長期休暇になるんだけど、他の生徒たちが実家に帰る中、主人公たちはみんなわけありで学園に居残りすることになるのよね。

 ゲーム通り、サラたちが居残りになるのはすでに決まっているから、わざわざ手を挙げて当番に立候補したのは秘密だ。

「……そうか。冬星の祝祭日は一緒に遠出しようと思っていたのに」

 ノエルは目に見えてしゅんとしてしまった。
 
 そんな表情よりも、私と一緒に小旅行に行こうとしていたのに驚きだ。
 以前はデートさえ嫌がっていたというのに、どんだけ一緒に出かけようとしてるんだ。

 それくらい【なつき度】が上がってきたのかしら。

 じゃあ、もう少し【なつき度】を上げて少しでも闇堕ちを防ぎたいところよね。
 せっかくだし、一緒に休暇中の生徒たちと親睦を深めてみるのもいいかもしれない。

 主人公たちとの楽しい思い出ができたら、彼らを陥れようだなんて、思わないはずだもの。

 よし、作戦が思いついたわ。

 その名も、【パーティーでハッピー☆作戦】!
 冬星の祝祭日を祝うパーティーを企画して、ノエルとみんなを交流させるわよ!

「そこでノエル、今度の休暇なんだけど」
「うん」
「ノエルの時間を、私にください」

 彼はやや沈黙したのちに口を開いた。

「ごめん、精神を統一させてた。理由は?」

 一体いつから彼は修行僧になったんだろうか。
 内心ツッコミをいれてしまう。

「一緒に職員寮に泊まって欲しくて」
「っえ?」

 彼はまたもや黙ってしまい、なぜか真っ赤な顔をして私を見つめる。

「レティシア、どうして?」

 動揺しているようで、目を逸らされてしまう。

 もしかしたら、ノエルも冬星の祝祭日は実家で過ごすよりも学園で過ごしたいと思ってたのかも。
 言い当てられてバツが悪いのかしら?

「居残りする生徒たちのためにパーティーを開いてあげたくて、準備とか一緒に手伝って欲しいの」
「……」
「ノエル?」
「……わかってた。わかっていたのに期待してしまった」

 ノエルは両手で顔を覆って、しばらく呪文のようにそう呟いていた。
 いったい、なにがわかっていたんだろうか。

「来てくれる?」
「……行く」

 消え入りそうな声を両手の内側から漏らして返事してくれた。
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