このたび、乙女ゲームの黒幕と婚約することになった、モブの魔法薬学教師です。
 ノエルに睨まれたダルシアクさんもまた、たじろいだけど、私ほどは気圧されていないようで。

「闇の王よ、いま一度、この婚約を考え直してください。冷静になればベルクール嬢を娶る利点など全くないとお分かりになるはずです」

 とまあ、ノエルの説得を試みている。

 利点が全くないだなんて、本人が目の前にいるのにズケズケと言ってくれるじゃないの。
 ロアエク先生の呪いが解けた今となっては、ノエルが私と婚約するメリットなんて、風除けくらいしかないけどさ。

 ごもっともだけど、人に言われると腹が立つわね。

「利点、ね。たしかに、君にはわからないだろうね。闇の王というふざけた偶像を押しつけてくる君には」

 ノエルの声は、怒っているようで、悲しそうにも聞こえた。
 だけど顔を見てみても、その感情のかけらも表情には現れていなくて、いつものように穏やかな顔をしている。

 そんな彼の、心を押し殺したような声を聞いていると、泣きたくなった。
 彼は、感情を隠すのが得意なあまりに、自分を殺しているような気がするから。

「僕は人間でありたい。だからこそ、ノエル・ファビウスという、一人の人間として接してくれるレティシアが必要なんだ」

 そんなノエルが必要としてくれている。

 追い打ちをかけられたかのように視界が滲み、ぐずぐずと鼻をすすっていると、ジルが足元で、「みっともない顔をどうにかしろ!」と小声で言ってきた。

「しかし、あなたは彼女のせいで格段に弱くなってしまった。それでも良いと言うのですか?!」

 ダルシアクさんはなおも食ってかかるように訴えかけているけど、ノエルにはちっとも効いていないようで。

「ああ、そうだ。僕はレティシアには敵わないからね」
「それ、どういう意味よ?」

 まるで私が尻に敷いているように言うじゃないの。
 話を盛らないで欲しいわ。

 ジトッと睨んでみてもノエルは面白そうに笑うだけだ。
 さっきまではしおらしそうにしていたのに。

 挑発したのにもかかわらずあっけなく肯定されてしまい、ダルシアクさんは、はくはくと口を開けたり閉じたりしている。

「これ以上、僕たちに深く干渉しようとしないでくれ」

 ノエルはそう言い残して、私の手を引いて会場へと戻った。

   ◇

「ローランからどこまで、聞いた?」

 会場の中に戻り、人目のつかない柱の陰に入ると、ノエルは静かに聞いてきた。

 彼が言わんとしていることはわかっている。
 どこまで私が知ってしまったのか、それを知りたいんだと思う。

 復讐のこと、特別な力を持っていること、王座に就くべき人物であること。
 どれも、他の人に知られたくないことだから。
 
 ダルシアクさんに聞かずとも前世の記憶のおかげで知っていたことだ。だから彼から聞いても驚きもしなかったけど、きっとそれは、不自然なことかもしれない。
 それでも、今さらなにも知らない顔はしたくない。

「ノエル、が、復讐をしてるって聞いたわ」
「……」

 知ってしまった私を、ノエルは消すのかしら?
 それでも、ここまで来てしまったのなら、もう踏み込むしかない気がする。

「本当なの?」

 ノエルはじいっと私の顔を見ている。
 その感情は全く読めなくて、なんだか拒絶されているように見えて。

 これまで一緒に過ごしてきた彼は笑いかけてくれていたから、そんな顔をされると、不安が押し寄せてくる。

「最近は私に隠していることが増えてきてる気がするわ。痣のことも、ちっとも教えてくれなくて、不安なのよ。私の知らない所で、ノエルはなにをしているのか、なにを考えているのか、わからなくて、辛いんだから」
「ごめん、どんなに心配してくれていても、言えないんだ」

 ノエルの手が伸びてきて、思わず目を瞑る。

 彼の手は頬をゆっくりと撫でて、その手があったかくて、ホッとしてしまった。
 そっとぬぐってくれて気づいたけど、どうやら私は泣いていたらしい。

 きっと、私ではこれ以上、踏み込むことはできないんだ。
 そうとわかっても、もう引けなかった。

「ノエル、復讐はダメだよ」
「……」
「き、綺麗事だってのはわかってるの。ノエルをそれほど苦しめた奴なんて、私も許せないわ。だけど、復讐したらその連鎖が続いてしまうかもしれないし、復讐したからってノエルが苦しみから解放されるわけじゃないと思うの。だから一緒に、こらしめてやりましょ」
「こら、しめる?」

 ノエルは目をぱちぱちと瞬かせる。

「ええ、けちょんけちょんにしてやりましょ!」

 説得力もないしめちゃくちゃなことを言っているのは、自分でもわかっている。
 だけど、どうにかしてノエルの意識を復讐からそらしたくて、必死で喋った。まるで子どものようで、我ながら滑稽だと思う。
 するとノエルはプッと噴き出して、綺麗な顔をくしゃりとして笑った。

「レティシアだと返り討ちにあいそうだけど」
「怖いこと言わないでよ」

 結局、はぐらかされてしまった気がする。
 抗議しようにも、ノエルは手を差し出してきて。

「ほら、音楽が始まったよ」

 そう言って、眉尻を下げた。
 このことはもう話したくないんだと、言わんばかりに。

「練習の成果を見せて欲しいな」

 目と鼻の先にある彼の指には、冬星の祝祭日の日に贈った指輪が光っていて、あの楽しかった日に戻れたらいいのにと、そう思いながら見つめていると、ノエルが私の手を取った。

「一つだけ、レティシアに言えることがある」

 そのまま腕を引かれて、気づけば頬は彼の胸に当たっている。

「僕は、やってはいけないことを、しようとしていた。痣はその罰だ」

 禁術のことを、言っているんだと思う。
 しようとしていた、ということは、ノエルは、術を最後まで受けなかったということ?

 顔を上げると、ノエルの紫水晶のような目に自分の顔が映っているのが見える。

「それと、もう一つある。レティシアのことを大切にする。それはこの先もずっと変わらないから、覚えていて欲しい」
「一つじゃないわね」
「ちゃんと聞いて?」

 ノエルは笑顔に圧を加えてきた。

「はいぃぃぃぃ。聞きます!」

 その笑顔、さっきのダルシアクさんにすごんでた時より怖いんですけど?
 おかげで心臓がバクバクと鳴っている。
 
「僕だってレティシアが見えないところでなにをしてるのか気になってしかたがないんだ。だから、たとえ相手が僕の知り合いであってもついて行かないでくれ」
「私は子どもか……」

 知らない人にはついていっちゃいけませんよ、みたいなお決まりの注意をするなんて、ノエルは私のことをなんだと思ってるのよ?

「子どもより手がかかる」
「なんですって?!」

 言われっぱなしも癪だ。
 なにかぎゃふんと言ってやる!

 そう意気込んでいたのに、ノエルは音楽に合わせてリードしてきて、あんまりにも楽しそうに笑うものだから、なにも言ってやれなかった。

 覚えておきなさい!
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