財閥御曹司と交わした一途な約束


 彼と出会ってから五年後――。
 私、仙田美月(せんだみつき)は二十二歳になった。
 早起きをして母親、父親、妹、家族全員の朝食の準備を忙しなくする。
 これは十歳の時からやっている日課だ。
 昆布とカツオでしっかりと出汁を取った温かい味噌汁。
 少し甘めの卵焼き。ほうれん草のお浸し、鮭か鱈の焼き魚。
 米粒一つ一つが艶をまとった白米を準備する。
 私は、子宝に恵まれなかった両親に養子として迎え入れられた。大事にしてもらっていたが、二人の間に実の子供ができてから人生が変わった。
 家族の一員として認めてもらえなくなった。
 八歳のとき妹が生まれ、私は本当の子供ではないと知らされた。
『あんたは、もらわれた子なんだ。この家の誰とも血がつながってないのよ』
 乳飲み子を抱っこしながら母に言われた。
 嘘だ……。信じたくない。
 あまりにもショックで、家を飛び出して近くの公園に行った。
 辺りが暗くなっても迎えになんて来てくれない。
 風が冷たくて、木がワサワサ揺れて怖くて。しかも、お腹が空いてくる。
 逃げ出したいけど、どこに帰っていいかわからない。結局は家に戻った。
『迷惑をかけるようなことをしないでくれ!』
 その日、初めて父親に突き飛ばされた。
 妹が生まれるまではいつも穏やかで、笑顔で大切にしてくれていたのに。料理、洗濯、掃除など、まるで家政婦のような役割を押しつけられて生きることになったのだ。
『私、朝はパンがいいんだけど』
 妹の言葉がきっかけで、洋食も準備するようになった。
 あらかじめ下ごしらえしておいたポタージュスープ、スクランブルエッグ、ウインナー。焦げ目がつきすぎない程度に軽くパンを焼く。
『育ててやったんだから、これぐらいのことは感謝してやりなさい。お母さんは旅館の女将として毎日働いているんだ』
 父親に言われ、私は黙って言うことを聞いていた。

 両親は、北海道湯の川にある大正九年の老舗旅館を営んでいる。
 表向きには愛想のいい母親だ。テレビに美人女将として取り上げられたこともある。
 養子の私に対しては、悪魔のような表情を向けているとは誰も信じないだろう。
 雑誌にもよく取り上げられ人気があった旅館だが、最近は観光客が遠のき、宣伝もうまくいかずに、経営不振に陥っていた。
 負債が膨らみこのままでは父の代で潰れてしまうかもしれない。
 毎日のように殺伐とした空気が流れていた。そんなうっぷんを私に当たり散らすのだ。
『あんたを育てるために、どれぐらいの金がかかったと思ってるんだ』
『本当は男の子の養子が欲しかったんだ』
『いつも、いつも本当に役立たずの子だね!』
 私はその罵倒にただ黙って耐えるしかなかった。
 ここを出ようとすれば引き止められ、とどまっていると早く出て行けと言われる。なぜこんなに理不尽なのだろうかと何度思ったことか。
 朝食の準備が終わり配膳をしたところで、両親と妹が入ってきた。
「美月、大事な話がある。ここに座りなさい」
 自分の分の食事は離れたところで食べるため、お盆を持ったところだった。しかし今日は父に厳しい表情を向けられ呼びつけられた。
 言われたとおり、目の前に正座する。
「我が家は経営を立て直すために義堂財閥に買収されることになった。そのおかげで、このまま営業を続けられることになったんだ」
「そうだったんですね」
「その条件として美月を嫁に出すことになった。今日これからここで結婚式を行う」
「……えっ⁉」
 あまりにも唐突だったので私は目を大きく見開いた。
「結婚式って、プロモーション……とかですか?」
「違う。先日ご両親と悠一さんが挨拶に来た」
「なぜ私のことを呼ばなかったのですか?」
「お前が逃げたら困るからな。話が固まってしっかりと契約しなければ、何百人もの従業員が生活を失うことになる」
 父親は腕を組みながら、険しい顔をして言った。
「先日の顔合わせでは、お前は体調が悪くて出席できないということにしておいた。だから話を合わせておくように」
 私という人間を物のように扱う両親に頭痛を覚えた。
「勘違いするんじゃないよ。悠一さんは女性に興味を持たないようで、ご両親も頭を悩ませていたそうよ。おじい様の体調が良くないようで、結婚した姿を見せて安心させたいということで、手っ取り早くあんたを選んだそうだよ」
 まるで私の心臓を切り刻むかのような、母親の発言。
 私は永遠に幸せになってはいけないと言われているみたいだ。
 幼い頃から『幸せになる権利なんてない』と植えつけられていたのだ。
 しかし、言い返したことはない。母の機嫌を損ねてしまうだけだから。
「あんたみたいなどこにでもいそうな女が愛されるなんて思っちゃいけない。義堂さんが離婚したいと言ったら受け入れなさい」
 結婚する人に『離婚』なんて、縁起の悪いことを言わないでほしい。
 旅館を救うために、私の人生が利用されてしまうのか。結婚には夢を持ったことはないけれど、虚しさに包まれる。
「でも良かったんじゃない。お姉さんみたいな幸が薄そうな人が結婚してもらえるなんてラッキーでしょ」
 妹が口元をクイッと上げてバカにしたように笑っている。
 私は何も抵抗せずにただ話を聞いているだけだった。
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