秘密の恋人は犯罪心理学者〜ハロウィンの夜に恋して〜

2 犯罪心理学者のアドバイス

 どうせなら、お洒落なカクテルバーで夜景を見ながら飲みたい。
 取引先のクレーム対応はいつもどっと疲れるが、特に今日は要注意な大型店だったので、心身ともに削られてしまった。
 紗季は高いお酒を一杯だけ飲み、家路につきたい気分で、気になっていた場所に行く事にする。

 ――――angelita(アンヘリータ)

 確か、可愛い天使とかちっちゃな天使とか言う意味だったように思う。ホテルの高層階にあるラウンジバーで、会員制ではなく、女性一人でも過ごしやすいと口コミに書かれていた。
 紗季は、ラウンジのカウンター席に座る。
 店の造りはパノラマビューで、どこに座っても、東京の美しい夜景が見えた。

「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりでしょうか」
「ブルーマルガリータ、お願いします」
「かしこまりました」

 上品なマスターが、ゆっくりと鮮やかな青のマルガリータを差し出してくれる。カクテルグラスの縁を彩るキラキラとしたソルティー。そこへ腰掛けるように、檸檬(レモン)の輪切りが飾られている。
 マルガリータブルーの鮮やかな青を見ると、イタリア旅行で訪れた青の洞窟(グロッタ・アズッラ)や、スキューバダイビングで潜った、沖縄の海を思い出す。ここ最近は忙しくて中々趣味の旅行にも行けていない。

「お隣、良いですか」
「はい、どうぞ」

 紗季の隣に、男性が座った。
 普段なら知らない異性に話し掛けられても、のらりくらりと交わし、やんわりと誘いを断るのだが、今日は違った。
 今夜は誰かと意気投合(いきとうごう)して、楽しく過ごせたら良い。ついでに、新しい恋の出会いがあれば、最高だろう。そんなふうに紗季は思っていたので、彼が隣に座る事も嫌ではなかった。
 単純に後腐れなく、気の合う人とセックスがしたい。それが紗季の本心だが、心の奥底にそんな願望があったとしても、現実でそのハードルを越えるのは、心身共に難しいものだった。 

「仕事のできる年上の女性っていいなぁ。憧れます。紗季さんが、僕の上司だったら良かったなぁ。優しく叱ってくれそうだし」
「私が優しく叱るのは、最初だけかなぁ」

 そんな事を言って彼は陽気に笑った。どうやら彼は外資系で働いているらしく、二十七歳で自分より二つ年下のようだった。
 女性の上司の元で働いていて、手厳しい指導を受けているらしい。紗季はほろ酔い気分で話半分に聞くと、冗談めいて笑う。

「私ちょっと、お化粧直ししてくるね」
「ああ、ごゆっくり」

 紗季は男性に断りを入れると、化粧室へと向かった。特別彼が好みの顔をしている訳ではないけれど、話は面白いし人当たりも良い。
 このまま彼と、朝まで一緒に楽しく飲めそうだと思った。

「あれ? カシスオレンジ? 私、頼んでないけど」
「ああ、僕がマスターに注文したんです。ほら、さっき紗季さんが、カシスオレンジも好きで、家では良く飲むって言っていたでしょう。これは、僕の奢りですよ」
「……ありがとう」

 カシスオレンジって、若い女の子が飲むものでしょうと、昔先輩に言われた事がある。
 紗季はそんな風に思った事はないし、誰でも好きな物を頼めば良いと思うが、子供っぽいから、恥ずかしいという意味だったのだろうか。
 それとも、貴方には似合わないという意味だったのだろうか。それから、紗季は外で注文する事を躊躇(ちゅうちょ)するようになってしまった。
 だから、正直に言うと飲みきれるかどうかもわからないのに、自分に断りもなく勝手にオーダーされたのに戸惑っていた。
 
「――――少なくとも、君はそれを飲むのは止めた方が良いな」
「え……?」

 紗季が、グラスに手を触れようとすると、不意に、二席空いた席で、一人飲んでいた男性に声を掛けられた。まるで、心の内を読まれたような気がして紗季は驚くと、視線を向けた。
 カウンターに座っていたのは、高級スーツを着た、堀の深い端正な顔立ちの人だった。薄茶の髪は染めているというより、単純に生まれつき色素が薄いのだろう。
 三十路くらいだろうか、知的で冷淡な視線がゾクリとして、印象的だった。彼はウイスキーをオン・ザ・ロックにして飲んでいるようだ。
 カラン、と氷が音を立てた。

「失礼な男だな。いきなりなんだ?」
「どういう事ですか」
「君が席を立った間に、彼はカクテルに睡眠導入剤を混入した。いわゆる、デートレイプドラッグだよ」

 突然の事に、紗季は絶句する。頭を鈍器で殴られたような衝撃だ。

「日本で犯行に使われる薬物は、海外のドラッグとは異なり、代謝速度の高いもので、検査キットに反応しない物が多かったんだ。しかし、昨今では研究が進んで直ぐに分かるようになっている。僕が思うに、彼はかなり手慣れた様子で薬を混入していたので、これが初めての犯行ではないだろう。恐らくターゲットの金銭には興味がなく、目的は性行為のみだね。この手口で、十代の頃から何度か成功し、味を締めているはずだ。通常は顔見知りの女性が被害に合う確率が高いのだが、彼は行きずりの女性だけを狙う、性犯罪のエキスパートだよ」
「なっ……!」
「君が、外資系の会社に働いているのも嘘だな。肝心な所は上手くはぐらかしているし、僕の友人の話とは異なる。君は被害女性が自分と同じように性行為を望んでいる、レイプされる事を願っていると思い込んでいるので、罪悪感がない。違うかい?」

 男性は、理路整然(りろせいぜん)と説明をした。紗季は呆気に取られ、今まで楽しく飲んでいたはずの男が、顔を真赤にして怒っている。突然現れた彼の言葉に不安を覚え、怒りの表情を浮かべる外資系を名乗る男に、紗季は恐怖を感じて凝視した。

「な、なんの証拠があって、人を犯罪者扱いするんだよ。警察を呼ぶぞ」
「証拠ね。ここには監視カメラもあるし、マスターと僕が見ている。彼女が席に戻ったら、薬物混入の事を言おうと打ち合わせをした。僕はここの常連なんだよ。警察か。それなら僕の友人の捜査一課の鬼頭刑事を呼ぼう。白黒つけたいんだろう?」

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