マリーゴールドで繋がる恋~乙女ゲームのヒロインに転生したので、早めに助けていただいてもいいですか?~
 エリアス越しに見えたのは、血を吐くポールの姿。
 一瞬、何が起こったのか分からなかった。次に聞こえてくるのは、床に何かが落ちた音。まるでガラスが割れたような、そんな音だった。

「クソッ! 毒を飲んだのか! テス卿、解毒剤を!」
「はい、旦那様」

 ど、毒を飲んだの? ポールが? 何で。
 いや、そんなことよりも、エリアスだ。

 辛うじて自分の足で立っているものの、私が支えなければ倒れてしまいそうだった。

「エリアス?」
「だ、大丈夫だ、マリアンヌ」
「でも……」

 こんな状態を大丈夫って言えるの?

「俺の内ポケットから、解毒剤を取ってくれないか」
「エリアスまで解毒剤!?」
「早く」
「う、うん」

 今は悠長(ゆうちょう)に驚いている場合じゃなかった。私はエリアスの指示通り、内ポケットから、解毒剤と思われる小瓶を取り出した。
 すぐに飲めるように蓋を開けて、エリアスに渡す。

「うっ……ありがとう。多分、これで大丈夫だと思う」
「良かった。何がどうなっているの? 解毒剤って……」

 状況が飲み込めずに聞くと、大丈夫と言ったのにも関わらず、エリアスはまた苦い顔になった。

「……俺の背中が見えるか?」
「背中?」

 私は言われるがまま、視線を下に向けた。エリアスの肩越しに見えたのは、細い何かが刺さった背中だった。

「ま、万年筆?」

 あの時、ポールの手元が光っていた物の正体は、万年筆だった。

「なるほどな。万年筆にも毒を仕込んでいたのか。想像もしていなかったな」
「今はそんなことを分析している場合じゃないでしょう。本当に大丈夫なの?」

 万年筆が刺さっているのは、ペン先のみ。それでも痛いことには変わらないはずだ。
 私は強く抱き締め返したいのを堪えた。

「まぁ、これくらいの痛みは我慢できる。毒も解毒剤を飲んだから、そっちもしばらくすれば良くなるだろうし」
「しばらくって、全然ダメなんじゃない」
「こうしていれば俺は大丈夫だから」

 エリアスは強く抱き締められない私に代わって、背中に回した腕に力を込めた。
 それが逆に、支えなければならない状態なのかと思えてくる。

「お嬢様! ご無事ですか?」

 ハッとなって声の方へ視線を向けると、ニナの姿が見えた。
 エントランスにひしめく治安隊の隊員の間をぬって、こっちにやってきたのだ。

「ニナ! エリアスが!」
「場所を移しましょう。ここでは治療もできません」

 ニナの言う通りだ。気が動転して、そこまで頭が回らなかった。

「エリアス。運び辛いから、取るわよ」
「お願いします」

 私がオロオロしている間に、ニナは即座にエリアスの背中に刺さっている万年筆を抜く。
 痛みを堪えるエリアスの顔に、ただただ胸が締め付けられる思いだった。

「お嬢様。そちらの肩を持っていただけますか?」
「えぇ」

 もう片方の肩をニナが担ぎ、エリアスを客間に運んだ。


 ***


 本当はベッドがある寝室に運ぶのが、正解なのは分かっている。でも、私とニナではエリアスを二階に運ぶことは不可能だった。

 エリアスは今年で十九歳。この世界では、すでに成人している年齢だ。
 いくら意識があって、そこそこ歩行ができるといっても、大の大人を女二人が二階まで運ぶことはできない。

 テス卿がいればいいんだけど。

 治安隊の隊員たちの中から探して呼び出すのは難しい。それ故の判断だった。

「お嬢様。お医者様を呼んできます」

 エリアスを長椅子に座らせると、ニナはそう言って、客間から出ていった。

 えっと、こういう時ってどうするんだっけ。背中を怪我しているから、横にさせるのはダメ、だよね。

「マリアンヌ」
「な、何? 何かしてほしいことはある?」

 よく考えると挙動不審な言動だったのかもしれない。私のオロオロした姿に、エリアスはフッと笑った。

「ネクタイを、取ってほしいんだ」
「ネクタイ?」

 そ、そっか。息苦しいものね。

 私は深く考えずに、手を伸ばした。

「うん。体内に入った毒と解毒剤が合っていなかったら、汚れると思うから」
「血を吐きそうなくらい辛いの?」
「いや、と言いたいところだけど、やせ我慢はできそうにないんだ」

 思わず外したネクタイを強く握り締める。

「ごめんなさい」

 発した言葉と共に、涙が出た。

 本当は私が受けるはずだった傷と毒。だから、ここは泣いちゃいけないのに……。
 助けてくれたエリアスに私ができるのは、そんなことじゃないのに……。

「旦那様がマリアンヌを大事に思うのと同じで、マリアンヌも旦那様が大事なのは知っているから」
「エリアスだって大事よ。でも――……」
「いいんだ。それにマリアンヌが飛び出さなくても、俺が行っていた可能性だってある」

 私は一瞬、想像した。が、それはとても低い確率だった。

「そ、そうかしら……」
「当たり前だろう。マリアンヌの泣き顔なんて見たくないから」
「っ! ごめんなさい」

 再び謝ると、エリアスの手が伸びてきた。私の頬に触れて、引き寄せる。

 そのまま顔を近づけ、昨日のようにキスするのかと思ったら、途中で止まった。

「エリアス?」

 少しだけ困った顔に、さきほどの言葉を思い出した。だから、私は身を乗り出して、エリアスの頬にキスをした。

 左、右、と続けて口づける。私の頬についた涙がエリアスの顔についたが、気にしなかった。

「私だってエリアスの苦しむ姿は見たくないよ」

 すると、驚いた表情をした後、ため息を吐いた。

 え? 何? 私、飽きられることをした?

「はぁ。こんな状況じゃなかったら、俺もこんな状態じゃなかったら……襲ってしまいたくなる」
「な、何を言っているの、エリアス。怪我人なのよ、貴方は」

 誤魔化すように、再確認するように、私はエリアスの上着に手をかけた。(めく)るように上着を肩にかけて、左腕から脱がす。
 すると、中に着ているシャツが目に入った。血がべっとり付いたシャツに。

「こんなに血が出ているのに、どうしてそんなことを言えるの?」

 再び涙が出そうになるのを、ぐっと堪えた。

「全くだ。婚約する前に手を出してみろ。容赦なく追い出すからな」

 冷たい声音が返ってきて、思わずエリアスと顔を見合わせる。
 エリアスは一度だけ瞬きをしてから、扉の方へ顔を向けた。

「今の俺にそんな体力はないので、安心してください、旦那様」

 腕を組み、仁王立ちしたお父様が、そこにいた。
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