青い鳥はつぶやかない 堅物地味子の私がベリが丘タウンで御曹司に拾われました
第1章 交わるはずのない出会い
 十時を過ぎていた。

 クリスマスイルミネーションの輝く街にそびえるベリが丘ツインタワーのビジネス棟にはまだまばらに明かりが残っていた。

 その中の一つ、中層階の明るい窓は黄瀬川史香が働く『BCコマース』のものだ。

 ネット通販プラットフォームを提供する新興IT企業は急成長を遂げ、上場も視野に入れているが、慢性的な人材不足で残業が続いていた。

 暖房の設定は弱いのに、史香の額には汗がにじんでいる。

 ――だめだ、終わらない。

 向かい合わせに座った後輩がモニター越しに顔を出す。

「黄瀬川先輩、すみません」

 史香は唇の端をゆがめて笑みを返した。

「いいから、今晩中に終わりにしないと、企画自体が終わるかもしれないんだからね」

「はい、本当に、すみません」

 ――なんとかしないと。

 育休に入った前任者に代わって、入社五年目で初めて任されたプロジェクトだ。

 これまではサポート役で携わってきた業務だけど段取りは分かっているし、史香自身にミスはなかった。

 なのに、与えられたメンバーの質が悪すぎる。

 新人に一から教えなければならないのは、次の世代を育てるのも仕事のうちと割り切れるけど、とっくに育っていなければならない後輩がやらかした失敗の尻拭いをさせられるのは正直なところ納得がいかない。

 史香は書類作成の手を止めて後輩にたずねた。

「東山さん、契約書のコピーと企画資料の追加はどうなってるの?」

「え、追加ですか?」

 ――まただ。

 嫌な予感が的中だ。

「えっ、ええっと……」

 新人の頃から史香が面倒を見てきたから知っている。

 菜月のこういった態度は警告ランプだ。

「あの、ええと、どの企画資料でしたっけ」

「仕様変更の説明で先方から要求されてた分だけど」

 史香にはもう分かっていた。

 資料はどこにもない。

 東山菜月は有名私立大学を出て入社三年目になる後輩だ。

 飲み込みは早いが、書類の誤字や数字の入力間違いなどを自分で見直すことができないし、仕事の優先度を調整することができない。

 すべてに目を通して修正の指示を出してやらないと業務が進まない。

 ――私ね、学校の先生じゃないのよ。

『先生、丸付けしてください』って、漢字ドリルでもやってなさいよ。

 まだ謝罪をされるだけましだが、手間がかかることに変わりはない。

 一応頭では分かっている。

 プロジェクトのリーダーに抜擢されるということは、後輩のミスも背負わなければならないということだ。

 だけど、それが重なるようだと、最初から全部自分に任せてくれた方が早いと愚痴を言いたくもなる。

 ――ああ、もう、無理。

 全部投げ出したい。

 急に涙がこみ上げてきてしまった。

 使えない後輩の前でそんな弱気な顔を見せるわけにはいかないからこらえたけど、早くこの場から逃げ出したかった。

「今日はもう終わりにしましょう」

「え、でも、まだ……」

「大丈夫」と、立ち上がって史香は菜月にうなずいて見せた。「明日課長に相談してみるから」

 相談ではない。

 報告と謝罪だ。

 責任は全部自分にある。

 だけど、もう無理。

 最初から私には無理だったんだ。

 オフィスの戸締まりをするからと先に菜月を帰らせて、史香は手の甲で頬をぬぐった。

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