冷酷な狼皇帝の契約花嫁 ~「お前は家族じゃない」と捨てられた令嬢が、獣人国で愛されて幸せになるまで~
「サラ様、マーガリー様たちがいらっしゃいます」
 姉たちの衣装ルームの一つを掃除していたサラは、やって来た老執事の言葉に驚く。
 生地にリボンの柄はあるものの、貴族の令嬢にしては質素すぎる飾り一つないドレス。作業のためざっと一つ結びにしているだけの髪は左右からこぼれ落ち、肌の美しさを見なければいいところの町娘だ。
「ま、まぁ、お姉様たちが!? どうしましょう」
 指示されていた整理整頓は、まだ終わっていない。
 辺境伯の娘として、姉たちは多くの男性から贈り物などが届いた。彼女たちから『いらない』とされたものが、この第一衣装ルームへ一緒くたに放り込まれる。
(なんて、もったいない)
 そうは思うものの、口答えなどできるはずもない。
 義務的に出席しなければならない社交の場へ行くことや、貴族の来訪を考えて、殴られたことはない。
 けれど、軽くはたかれるだけでもサラには恐怖だ。
 痣はできなくとも、痛いものは、痛い。実の妹なのに、サラはいつもそんな扱いをされてきた。
「でも、今はまだマーガリーお姉様は見合い中のはず……他のお姉様たちも、ご挨拶とそのあとのお話にも同席されるはずよね?」
「はい。しかし休憩になって、ご一緒に移動されたと」
 どうして、とサラが不安になって見つめると彼も難しそうな顔をする。
「何か入り用でもできたのでしょう」
 それは、いったいなんだろう。
 そう思っている間にも荒々しい足音が近づいてきた。
「サラ! いるんでしょう!」
 次女、アドリエンナのまくし立てるような声にサラの肩がはねた。
 老執事がサラをかまっていると知られては、彼の身が危ない。
「今はここにっ」
 サラは衣装ルームの扉を閉めて音がもれないようにすると、下がっている衣装の後ろへと彼を慌てて隠した。
「サラ!」
 同時に、両開きの扉が開かれる。
 姉妹の中で最も存在感と威厳もある長女マーガリーの大きな声に、サラはびくっとした。手を下げつつ、おそるおそる姉たちに視線を向けた。
「……ご、ごきげんよう、マーガリーお姉様、アドリエンナお姉様とフラネシアお姉様も……」
 そこには三人の姉が揃っていた。どちらも母譲りの淡い緑色の瞳をしている。
 サラが委縮しつつ見つめ返すと、彼女たちのつり上がり気味の目が細められる。疑われたのかしらと思って、サラは強く緊張した。
「サラ、扉を閉めるなと指示したはずよ」
 マーガリーの長女に相応しい落ち着きのある声に、サラは肩の力が抜けた。
「は、はい、ごめんなさい……」
 長女は、妹たちと違って女性として身長にも恵まれていた。豊満な胸がその腕にのる様子は、同性もどきっとさせる。
 佇まいだけでも色気を漂わせるのは、どうすれば美しく見えるのかという彼女の積み重ねた努力の結果でもあった。プライドの高さゆえ化粧からファッションセンスまで、侍女任せにせず自分で専門的に磨いた。
 そこはサラも純粋に尊敬していた。比較的顔立ちも整っているから、彼女の研究の積み重ねで仕上げられた高貴な感じは、意地悪そうながら社交界で男性を魅了している。
 すると左右から、彼女と比べると少女っぽさがまだ残る次女と三女が、ここぞとばかりに顔を出して偉そうに続けた。
「どの使用人も守っていることだわ、不正をしないように、とね」
「サボらないようお母様も指示していたでしょうに」
 二女のアドリエンナと、三女のフラネシアだ。
 四女である末子のサラよりも先に成人した二十一歳と二十歳。彼女たちは一歳違いで、よく一緒にいた。
 長女のマーガリーはストレートの髪だが、二人は父に似て癖毛だった。
 三人揃って母と同じ赤茶色の髪を、父は『美人の証だ』と言ってよく褒めた。そして彼とそっくりな癖毛のアドリエンナとフラネシアは、背丈も、そしてものの考え方だってとても似ていた。
 会話の息もぴったりで、話している時の仕草もそっくりだ。
 姉のような美人路線は目指せないと早々に諦め、ファッションで自分たちをかわいく見せる方向へと走った。その服や髪型の感じもやはり似ているため、訪問してくる“結婚相手の候補者”たちにも双子だと勘違いされた。
「いやらしいわ。仕事を休憩するために閉めたのね」
 執事の件を勘づかれなかったようだと、サラがほっとしたことが気に食わなかったようだ。
 長女に密告し、発破をかけるみたいにアドリエンナとフラネシアが口を揃えた。
 サラは慌てた。するとマーガリーが、衣装ルームに踏み入ってカツンッとヒールを鳴らした。
「違いますお姉様っ、わ、私、お仕事はちゃんとしていました」
「お黙りなさい。言い訳は恥だと教えたはずよ。これくらい労働でもなんでもないのだから休憩なしでできたはず。次は開けておきなさい」
 ばっさりと言われて言葉が出なくなった。気をよくして、次女と三女が左右からまた、息ぴったりにはやし立ててくる。
「あなたはできない子だもの。嘘よ」
「昔からそう。掃除も片づけも、全然だめ」
 サラはいつだって必死にやっている。
 真向から否定されて彼女の胸は切なく締めつけられる。見てくれないから、わからないだけだ。
 けれど頭ごなしに否定されるのはいつものことだった。
 サラは悲しくなったものの、ぐっとこらえてマーガリーを見上げた。忠告にとどめてくれたということは時間がないのだ。それはサラにとっても好都合だった。
「何かご用があっていらしたのですよね。私、お力になります」
「もちろんよ。力になってちょうだい」
 察した物言いを好んでいるマーガリーが、満足そうにうなずく。
「バフウット卿からのプレゼントを捜しに来たの」
「あら? でもそれはいらないと……」
「ちょっと、サラ、お姉様のご意向を察しなさいな」
 アドリエンナが「むふふ」と口に手をあて、言ってくる。
「それがいることになったのよ。今日、来ているの、彼なのよ」
「えっ」
 サラは驚いた。バフウット卿といえば、ラブレターと贈り物をマーガリーに送るも、鼻にもかけられていなかった紳士だ。
「マーガリーお姉様に熱烈だから、どんな相手なのかと思って、会ってみたらびっくり!」
「意外とイケメンだったの! 義兄様になるなら、私たちも彼なら大歓迎だわ!」
「そ、そうでございますか……」
 とすると二十五歳の長女も、ようやく結婚する気になったのか。
 これで少しは男性をとっかえひっかえの際の愚痴や、癇癪も収まってくれるといいなとサラは密かに思う。
「いいから、とっとと捜しなさい。サラなら覚えてるでしょ」
 マーガリーが胸の下にあった腕を一つほどき、言う。
 急ぎみたいだ。責任をもって預かったものをしまうのは当然のことだ。サラはしまった場所を思い返しながら歩きだす。
 すると姉たちが、部屋の中に入ってきてきょろきょろした。
 サラは心臓がどっとはねた。まずい。執事が隠れていることを察知されたら、大変だ。
「――ま、まだ荷物が床にありますから、足を引っかけてしまっては大変ですわ」
 咄嗟にそう告げた。アドリエンナとフラネシアが真っ先に嫌な顔をしたものの、彼女たちはよくこけてヒールをだめにするものだから「確かに」と顔を見合わせる。
「バフウット卿のところに戻るのに、お気に入りの靴が変わってしまうのは嫌だわ」
「そうね。私たちはここで待ってるから、急ぎなさい。マーガリーお姉様を待たせてはだめよ」
 彼女たちが止まってくれた。
 よかったと内心勝利の声を上げ、サラは急ぎ捜しますからと言いながらお目当ての箱を手に取った。
 それを持って慌てて駆けて戻る。
 すかさずそれを差し出したら、マーガリーが満足そうに受け取った。けれど彼女は長い赤い爪のせいか、妹たちに開けるよう指示した。
「まぁ見てっ、今思うと添えられているこのメッセージカードもよくない?」
「センスがいいコサージュだわ」
 二人は箱の蓋をむしり取るように開け、中に入っていたものを取り出してきゃーきゃー騒ぐ。
 マーガリーがそれを受け取って「確かに」と言った。
「これでいいわ。よくやったわ、サラ」
 胸を撫で下ろしたサラは「でもね」と続いたマーガリーの目が、怖い感じになったのを察知して心臓がぎゅっとした。
「仕事をサボっていたのは見逃せないわ。――アドリエンナ」
「ほんとですわよね、お姉様。ほらサラ、まだここにも箱があるじゃない!」
 出番がきたと残酷にも楽しげに、アドリエンナがスカートをぐっと握ってもち上げ、プレゼントの箱を蹴り飛ばした。
 それが飛んでいき、積み上げられていた別の箱の山を崩した。
 姉が言うのだからすべて正しい。そう思っているアドリエンナに続いて、フラネシアも参加し、蹴り飛ばされる箱や物は一つでは済まなかった。
 二人によって箱はどんどん蹴り上げられる。さげられていた衣装たちの一部にもあたって、サラは悲鳴を上げた。
「ああっ、ああ、お姉様たちおやめくださいっ」
 箱の角にあたって破れでもしてしまったら、また母に怒られてしまう。
 サラは咄嗟に止めようとして走った。だが、フラネシアが振り返りざま彼女の頬を打った。
「あっ」
 そのままサラは尻もちをついてしまう。ドレスが周囲に積み上げられていた箱にぶつかり、がたっと騒々しい音を立てた。
「大袈裟ねぇ。ちょっとどかしただけじゃない」
「大きな声を出さないでちょうだい。一階のバフウット卿のお連れ様にでも聞こえてたらどうするの?」
 去るべくマーガリーがドレスを揺らしながら、妹たちを呼ぶ。
 もう用もないと言わんばかりに彼女が離れていく。そこに続こうとした直前、アドリエンナとフラネシアがサラを憎しみの目で睨みつけた。
「サボるのはよくないわ。次は私の机の上を片づける約束でしょ。いいから、とっととこっちを済ませて」
「我がバルクス家を呪ったのだから、これくらい罰を受けるのは当然よ。おかげで男児を産めないんじゃないかって、私たちの嫁ぎ先だってまだ探せていないんだからっ」
 吐き捨てられ、まったく気味が悪い愚痴が遠のいていく。
 ――金色の髪と瞳には、魔力が宿っている。
 そう言い伝えられて嫌われているおかげで、女性しか生まれなかったのはサラのせいだと言われる始末だ。
(そんな力はないの、そんな“強い力”は……)
 サラは頬を押さえたまましばし座り込んでいた。姉たちが完全に離れてくれるまで、老執事を出してはいけない。
 けれど『私のせいじゃないんです』と言っても、家族はわかってくれない。
 理解するつもりがないのだ。まるでサラを敵扱いだ。
 家族が『自分たちの家族じゃない』と思っているように、いつしかサラも、髪の色さえ違っている家族を、家族だとは感じなくなっていた。
 でも、生きている。
 それが大事だと、サラは強く生きる使用人たちの姿を見て学んだ。
(隣の国に行って、それでもだめなら、もっと遠くの国を目指せばいい)
 大人まで我慢する。
 両親たちもさすがに親として世間の目を考え、渡航などが難なくできる年齢までは手を出さないだろう。
 二十歳になったら保護義務もなくなる。
 大人になって、屋敷を出て、そしてサラは一人で生きていくのだ。
 バルクス家という家名もない、ただのサラとして生きていく。親の許可がなく好きに動けるようになるまで、あと二年と少し――。
 今は雪の下で春を待つ花のように、じっとこらえよう。
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