意地悪で不愛想で気まぐれだけど大好きなあなたに、おとぎ話が終わっても解けない魔法を

プロローグ

 ――魔法が消滅し、王政が崩壊して民政に移行した、おとぎ話が終わった国で。
 人々はかつて普遍的だった奇跡や美しい生き物、そして豪華絢爛たる生活をしていた人々を思い出しては、それを空想の彼方に捨てた。
 
 そうしなければ、前に進めなかった。

(エルネス連邦共和国初代大統領アルジャーノン・オルブライトの就任演説より抜粋)

      ***

「行くな。このまま一緒に帰るぞ」

 そう言い、自分を壁際に追いやり両腕の中に閉じ込めてくる男を、リーゼは睨んだ。
 
「嫌だと言ったら?」
「力づくで連れて帰る」
「力で人民を支配するのは軍人失格だって総帥が演説していたよ?」
「安心しろ。自称お姫様を丁重に運ぶだけだ」
「――っ!」
 
 濃紺色の軍服を身に纏うその男は、一度見たら忘れられないほどの美丈夫だ。
 
 きっちりと整えられている黒髪は絹のように美しく、切れ長の怜悧な目や高い鼻梁は名匠が作る美しい造形作品のように見事な配置で。
 おまけに瞳の色は翠玉(エメラルド)に似た緑色で、得も言われぬ神秘さを醸し出している。

「ノクターンには関係ないでしょう? どうして邪魔をするの?」
「このまま退いたら、あの男のもとに行くだろう?」
「そうだよ。悪い?」
 
 するとノクターンという名の男は、薄く形の良い唇から溜息を零した。
 見る者が見れば退廃的で魅惑的な姿だろうが、彼の幼馴染のリーゼの目には嫌味として映る。

「……ああ、感心しない。どこの馬の骨ともわからない奴について行くな。最悪の場合、人買いに売られるぞ」
「エディはそんなことしないから」
「ふーん? エディという名前か」
「そうよ。実業家で、少しだけ経理の実践をさせてくれているの。ほら、学校を卒業したら軍の経理部に入るのが私の夢でしょう?」
「ほお? 頻繁に会っているようだな」

 低音の美声はリーゼの必死の説得に淡々と相槌を打つ。
 そこにほんのわずかな苛立ちが込められていることに、リーゼは気づかなかった。
 
(今日だって、ノクターンのことを相談するためにエディに時間をとってもらったのにっ……!)

 リーゼは幼馴染であるノクターンに片想いしている。
 だけどこのところノクターンと上手くいっておらず焦っているのだ。
 
「話はわかった。もう帰るぞ」
「ちっともわかってない! ――ひゃっ!」

 ノクターンがあっという間にリーゼを抱き上げた。リーゼの栗色の髪がさらりと揺れる。
 軍人らしいたくましい体躯に抱き上げられると、しっかりと筋肉がついているのを感じられる。
 
 いまにも地団太を踏みそうな剣幕で怒っていたリーゼだが、好きな人に横抱きされては怒りが霧散してしまった。
 水色の瞳をそろりと動かすと、ノクターンの緑色の瞳にしっかりと囚われてしまう。
 
「ま、街中でなんてことを!」
「耳元で騒ぐな。余計目立つぞ」

 この意地悪な軍人は、リーゼを横抱きにしたまま大通りを歩く。すると知っている顔が数名、足を止めて指差しているのが見えた。
 きっと明日にでも学校で噂されるだろう。そうなればしばらくは揶揄われるに違いない。

「~~っ!」
 
 苦悶に押し黙ったリーゼを嘲笑うように、ノクターンの胸元についている仰々しい勲章たちがカチャカチャと音を立てながら揺れる。
  
「いじわる」
「ああ、リーゼのための特別対応だ」
「最低……!」
 
 唇を噛むリーゼとは裏腹に、ノクターンは唇の片側を上げて満足げな笑みを浮かべたのだった。
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